毎年誕生日は逃げるように仕事をする。口実に使っている仕事はゴールデンウィークの真っ只中に休出するほど立て込んでいるわけではなく、昼前には粗方片付いてしまう。誰もいないオフィスで煌々と明かりを放つパソコンのディスプレイをぼんやりと眺めながら、無意識のうちにスマホを確認している。何の変哲もないホーム画面は、結局どこにも逃げられずにいることを土方に突き付けていた。
逃げながらも心待ちにしている。期待しながら気にしてない体を装う。
近藤とは高校一年からの付き合いだ。忘れてしまうほど些細なきっかけで親しくなり、いつの間にか自分でも驚くほどに土方の中心に近藤が存在していた。互いに就職している現在、仕事の忙しさを理由に距離を置こうとする土方に近藤は定期的に連絡を寄越してきた。近況を訊ねられ、久しぶりに会おうと持ちかけられる。そして必ず誕生日を祝うメールが送られてきた。
手の中のスマホが震え、メールの着信を伝えた。“仕事おつかれ。あんまり無理すんなよ”という文面から始まり、土方の誕生日を祝う言葉がつづられている。ろうそくに火が灯るように、スクロールする指先がじんわりと温かくなる。
クラス替えのたびに恐怖し、卒業に絶望し、彼女の存在を危惧し、就職が決まった時に、もうさすがに終わるだろうと、覚悟した。人生の節目が訪れては今度こそ疎遠になるのではないかと思う。今はいつ結婚の報告を受けるか恐れている。一生の友達、を想像できないほど、すでに友人に対する枠組みを超えていた。過去付き合った女たちに「淡泊」と言われてきたのが嘘のような執着だった。
だからこそ土方は、いつか来るであろう完全に近藤を失ったと気付く瞬間に備え、感情に予防線を張る。拗らせに拗らせた感情は何も生み出さず、行き場を失っていた。
返信画面を開き、ジリジリと十二分待ってから“ありがとう”とだけ返した。一仕事終えた気分だ。土方は火の点けられない煙草をひと嗅ぎし、口にくわえる。禁煙の風潮が忌々しい。すぐに返ってきた近藤のメールに“電話していい?”と書かれていた。
『よぉ、トシ。仕事してた?』
「ねるねるねーるねについて考えてた」
『ははっ、なんだそれ。ねればねるほど色が変わって……美味い!』
シーエムに使われている印象的な効果音を口真似て、近藤は軽快に笑った。
「そうそう。建設的だなと思って」
『そんな感想初めて聞いたわ』
「練りがいあるだろ」
『練りがいあるな』
出会った頃のまま近藤は変わらない。他愛ない話に乗っかって、楽しそうに笑う。
『それで、いつ頃になったら仕事落ち着きそうだ?』
「あー……来週以降には」
『わかった。ザキも最近不定期らしくてなぁ、詳しいこと決まったらまた連絡するな。プレゼント楽しみにしてろよぉ。今回ちょっと自信あるんだよねー。見た瞬間コレだ!つって、ビビッときたっつーか、トシだ!て思って。トシの喜ぶもんて難しいんだよなあ』
「そんなことねぇよ」
なんだって嬉しいと口にすると、電話口から笑ったような吐息が聞こえた。バレているのかもしれない。何を貰っても、嬉しいのに心の底からは喜べない。毎年毎年、律儀にくれる誕生日プレゼントで距離を推し量ろうとする自身の浅ましさを、土方は嫌悪していた。
「本当に嬉しいって。あんた、つくづくまめだな」
『あのなぁ』
呆れたと言わんばかりの近藤の口ぶりに、思わず体が強張る。
『つなぎ止めるのに、俺がどれだけ必死にやってると思ってんの』
一際静かなオフィスにパソコンの冷却ファンが唸りを上げて稼働する。休日出勤は疲れる。土方は片手で額を支えた。
女のちょっとした仕草や言葉にしょっちゅう振り回されているにも関わらず、近藤は自分の発言にはひどく無頓着だ。何気ない近藤の一言の裏を、十も二十も考えて、期待して、期待をもみ消して、極めて単純で大衆的な思考回路に落とし込む。いつものことだ。もう十年以上してきている。今年もきっとそうなるだろう。
わかりきっているはずなのに、触れている額が熱い。煙草に火を点けようとして、ライターを持つ手が震えていることに気付き諦めた。
『トシ、何か考えてるだろ。言ってみ。俺が叶えてやるから』
だから考えてないようにしてるんだ。土方は喉の奥で呟く。
「社会にセーフティネットがあるのは簡単に人が死なないようにするためだ」
近藤は黙って待っている。どんなにつぎはぎの福利厚生だとしても土方には必要だったのだ。
「……俺の、傍にいてくれるあんたがほしい」
土方が張り続けた安全網は、三十の誕生日に近藤の手によって取り払われた。電話越しなのが悔しいと近藤は笑っていた。
『誕生日おめでとう、トシ。俺もトシのこと好きっ!』
─終─