さてどうしたものかと、俺はもう三十分は迷っていた。テーブルを挟んだ向かいには、突っ伏す形で近藤が眠っている。そのこと自体が問題なのではない。問題なのは、明日(既に今日になってしまっている)が中間テスト初日だということだ。さらに問題なのは眠っている当の本人が試験内容を全く理解していないことだった。試験前日だというのに「一緒に勉強しよう」と言い出した時点で嫌な予感はしていた。それにしても、まさか今日になってテスト範囲を訊いてくるとは思わなかった。当然、何一つ憶えていないらしい。実にヤバイ。お陰で昏々と眠る近藤に毛布もかけられず、俺は冷めたコーヒーを飲んでいる。
 高校三年生二学期の中間テストが如何に大事かは何度となく担任教師に説かれていた。皆大学入試に向けて必死でやっている頃でもあり、夏休みどれだけやってきたかはっきりと差が出る時期でもある。せめて今日がテスト一週間前なら、と思わずにはいられない。それならどれだけ寝ようとまだ何とかなる範囲ではある。出来ることなら俺だって風邪を引かないように毛布もかけてやりたいし、抱き上げられるんならベッドまで運んでやってもいい。だが近藤の学力が想像以上に危ないのだ。寝る時間を与えるよりも、叩き起こして効率が悪かろうがなんだろうが無理やり勉強させたほうが優しさな気がしてくる。このままでは卒業すら危うい。と、そこまで考えて改めて事の深刻さに気が付いた。笑い事でも冗談でもない。本当に留年しかねない。同じ大学どころか一緒に卒業すら出来ないなんて!俺は一緒に卒業してェんだよ!
 それにしてもまぁ、気持ち良さそうに寝るもんだ。授業中に寝ているときもそうだが、実に気持ち良さそうで起こすのが躊躇われる。そのために今、悩むはめになっているのだが……。嫌いな奴に寝顔なら忌々しくて容赦なく叩き起こせるのに、今はそれが悔しくもある。好きな人物となると全くそんな気になれない。きっと幸せなんだろうな、とか思うとこっちまで幸せな気分になって、ついつい寝顔を眺めてしまう。そうしているときの自分もまた、酷く穏やかな表情をしていると気付くのだ。なんだかもう冷めたコーヒーも、開いた教科書の意味もどうでも良くなってくる。こんなに気持ち良く眠っている人を叩き起こせる人間なんて血も涙もないに違いない。とろとろと瞼が落ちてくる視界に、唐突に時計が入ってきた。一瞬理解できない。……二時?……二時半!
 急速に意識が現実へと引き戻される。冷めたコーヒーも、開いた教科書の意味も、どうでもいいはずはない。例え血も涙もないのかと罵られようが、恨まれようが、不機嫌になられようが、今起こしてやることが俺の優しさだ。
「おい、起きろよ」
 腕を伸ばして近藤の肩を揺さぶってみる。
「近藤さん」
 俺に揺さぶられて気持ち良さそうだった近藤の顔が険しくなった。もごもごと何か訴えたげに口元が動く。「うーん」と低く唸ってから
「トシ」
と呟いた。
 やっと起きたかと掴んでいた手を放す。だがその気配はなく、険しい表情のまま再び規則正しい寝息をたて始めた。つまりこれは寝言か?俺の夢か?
「どうした、近藤さん……」
 とりあえず起こすのは先送りにして、耳元で返事を囁いてみる。どんな夢見てんだよ、チクショウ!
 返事が来た近藤は、しばらく間を空けてから言いづらそうに声を絞り出した。
「実は……」
 その様子を、固唾を呑んで見守る。だが一向に続きが発せられる様子はなかった。
「おい、なんだよ実はって!実はなんだよ!」
 控えめに肩を揺すってみるも、既に近藤は穏やかな表情に戻っている。
「一人で気持ち良く寝てんじゃねェよ!俺も眠いってのによォ。
いっそもう起きろ!」
 ガクガクと激しく揺さぶられ流石に目を覚ましたらしい。勢いよく頭を上げると「どうした」と訊いてきた。
「どうしたじゃねェよ」
 晴れ晴れとした顔なところを見るとよく眠れたのだろう。俺のお陰で。俺は神妙な顔つきで口を開いた。
「今、どんな夢見てた?」
「夢ぇ?どんなって言われてもなァ。そんなのいちいち憶えてるわけないだろ。あ!それより今何時だ!すまん、寝てた!起こしてくれてありがとな!」
 はっと現実に返った近藤に、俺は苛々と言葉を継ぐ。
「何時だろがどうでもいいんだよ!いいから今見てた夢を思い出せ!」
「ええーェ。思い出せとか言われてもなァ……」
「凄ぇ気になんだよ!なら普段俺に言いたいことってねェ?」
 不機嫌に畳み掛けると、困ったように頭を捻りながら答えた。
「別にないな」
「ないこたないなだろ!何でもいいから言えよ!」
「えー。じゃあ、『いつもありがとう』」
「母の日かよ!」
「どうした、トシ。テンションが変だぞ」
「そりゃそうだろ。寝てねぇんだから」
 自分で言うことで眠気に気付いたのか、なんだか急に睡魔が襲ってきた。眠い。それと同時にまともな思考も蘇ってきた。そういや今日テストじゃねェか。こんなに眠いんじゃテストどころではない。このままでは俺までヤバイ。
「悪いけど、俺ちょっと仮眠とってくるわ。五時……あー、六時になったら起こしてくれ」
 そう言いながらのそのそとベッドまで這っていく。もう限界だ。眠くて何も見えない。
「あ、トシ」
「なんだよ。夢の内容思い出したんなら俺が起きたらに……」
「いやいや、トシ時間がな」
 しきりに時計を指差す近藤に促されて、必死に目の前の光景を理解しようとする。なんだってんだよ、もう……。
「あ」
 真っ白になる頭の中に、数時間後のテスト用紙を見た気がした。

─終─



   あとがき

 前半の字の多さに吃驚しました。これは読む気なくすな……。内容はしょうもないけど。