近藤は一人山道を登っていた。吐く息は白く空気は身が切られるほど冷たい。落葉樹はすっかり葉を落とし、針金のような枝振りの間から見える灰色の空は厚ぼったい雲に覆われ、いつ降り出してもおかしくはなかった。積もった落ち葉を踏みしめるたび、湿った葉がカサリと音を鳴らし近藤の足を柔らかく受け止める。この寒さにもかかわらず背中はじっとりと汗ばんでいたが、近藤は黙々と歩き続ける。右手には花束が握られている。
「こいつ、今日、誕生日なんですよ」
隊士の一人におめでとうと言っているところに、偶々通りかかった伊東と目が合い、近藤はそう伝えた。聞いてもいないことを答えられ伊東は多少面倒そうだったが「それはおめでとう」と伊東からも隊士に告げた。局長と参謀がそろったことに気圧されたのか、平の隊士は深々としたお辞儀を残し、足早に立ち去っていった。その後ろ姿を見送り、伊東が口を開いた。
「この歳になって誕生日おめでとうもないだろ……」
「なに言ってんのォォ!誕生日おめでとうに年齢は関係ないでしょォお!誕生日おめでとうって言ってもらえるから誕生日は嬉しいんじゃないか。先生だって子供の頃そうだったろ?」
「僕の場合双子の兄がいたから……」
「それじゃ毎年大盛り上がりだな!」
誕生日の祝福は誰にでも公平にあるものと信じて疑わない近藤は、伊東のわずかな表情の陰りを見落とした。
「……ああ、毎年盛大に行われたよ」
「先生誕生日いつ?」
「十二月十三」
「過ぎちゃってんじゃんんん!言ってよ!今日俺の誕生日なんだー、て言ってェエ!」
「嫌だよ!それこそ悲しいよ!」
「じゃあぁ来年こそお祝いしますからね。指切りしようか?」
「遠慮しておく」と笑う伊東の顔は呆れながらも穏やかだった。
細い山道の脇にぽつぽつと墓石が並ぶ。やがて山肌に小規模な墓所が現れた。冬場だからか他に人影はなく、一段と寒々として見えた。手にした花を傷めぬよう労わりながら近藤は新旧入り交じった墓石の間を歩いていく。
注文を受けた花屋の店員は「どのようなイメージのものをお考えですか?」と丁寧に聞いてきた。どのようなものを、と繰り返し近藤は言葉に詰まる。客の困った様子に店員が助け舟を出す。
「お相手はどのような方です?好きな色は?」
何も知らない。先生が好ましいと感じるものを何も知らない。先生が何を思い何を感じ何を考えてきたか、知ることも出来ない。誠実な花屋の店員はわずかばかりの情報で、臙脂のガーベラを中央にシックな花束を作り上げていく。派手になりすぎないように、しかし華やかさを残しつつ……「お祝い事ですからね」と深い緋色のバラを添える店員に近藤は微笑んだ。
斜面に埋まった石段を上り墓石の名前を探す。伊東、と彫られた墓の前で足を止めた。年季の入った石の側面に真新しい名前が刻まれている。花を手にした近藤は伊東の墓と向き合ったまま立ち尽くしていた。
墓前らしからぬ花束が伊東の墓には供えられている。誰が置いたかわからないが、この花は間違いなく伊東を祝っていた。
「よかったなぁ先生……」
墓石に手を伸ばす。手のひらから伝わる冷たい感触に悔しさがにじむ。もう後悔するのは止めにしなければ。悔いることはなかったと今なら思えるはずだ。
持ってきた花束を横に供える。そっと鴨太郎の名に触れた。
─終─