俺のことが好きだと、あんたは言った。春の陽気があまりに心地良いから一緒に散歩に出たのだけど、唐突にそんなことを言うもんだから俺は、あんたの頭の中まで春に冒されちまったのかと心配になった。俺のことが好きだなんて悪い冗談にもほどがある。そんな大それたことを言ったってのに随分とのんきそうなあんたに、俺はいつも通りの笑みを浮かべると「寝てるんですかィ」とだけ何とか言うことができた。
「起きてる、起きてる。流石に寝ながら散歩は無理だから。夢遊病じゃないんだから」
「なんだ、俺はてっきり寝言かなんかかと思っちまいましたよ」
「そんなふうに聞いてたのかよ。真面目に言ったのになァ」
 ぽかぽかと暖かい道をゆっくりと歩く。ああ、本当にそんなことを言うのはやめてほしい。そんなことを言われて俺は一体どうすりゃいいんだい。あんたみたいな人は俺なんか好きにならないって信じていたのに。春は空気が少し埃っぽくて、鼻がむずむずしてくる。
 俺はそのまま何も言わずに黙って歩いていた。大分暖かい日が続くようになったが、それでも道路の隅には溶け残った雪の塊が所在なさそうにしている。薄汚れた雪の塊は惨めでもあり憐れでもあった。未練がましく残っていないでさっさと溶けてしまえば、こんな姿を晒すこともなかったのに。真っ白い雪のまま消えてしまったほうが雪も幸せだろう。
「雪ってもんは誰にも必要とされてねェってのに、どうしてこんなに溶け残っちまうんだろう」
 独り言だったはずの俺の言葉をあんたは拾った。
「きっと名残惜しいんだろうなァ」
「雪が、春をですかィ」
 仕方なく俺は返事をする。
「春が雪を」
と、あんたは笑った。
「ほら、偶にすっかり春だと思ってても寒波がぶり返して、雪なんか降っちゃったりすることあるだろ。あれも張るが雪を名残惜しく思ってのことだと思うんだよなァ」
「意外とロマンチックですねェ」
「もちろん俺も名残惜しい。総悟も、雪好きだろ?」
「俺は寒いの嫌いだから、春のほうが好きでさァ」
 ふと、俺の横から人の気配が消えた。足を止めて振り返ると、数歩後ろであんたが佇んでいた。
「どうしたんでィ」
「総悟は俺のこと嫌いか?」
 俺は口をつぐむ。折角なかったことにしようとしたのに、また掘り返してきやがった。俺が答えないことが答えだと勝手に解釈したあんたは再び歩き出した。
「まぁ、それでも別にいいけどな」
 良かないでしょうよ。
「こういうのは慣れてんだ」
 そういうとあんたは笑顔を見せた。それで気を遣っているとしたら俺も随分と馬鹿にされたもんだ。それで気持ちが軽くなるほど俺はお人好しじゃないし、あんたに無関心でもない。
「雪が恋しい春は、自分が現れるといなくなる雪を嫌になったりしねぇんですかィ」
「なんだ?さっきの話?えーそりゃないだろォ。ちょっと会えるだけで嬉しいと思うぞ」
 こんだけ愛されていりゃァ、雪も幸せだ。
「さっきは言い忘れちまいましたがね」
 自然と俺の表情が和らぐのが分かった。どうやら俺も頭ん中まで春に冒されちまったらしい。
「あんたを好きじゃない俺は俺じゃないんでさァ」

─終─



   あとがき

 他の『夏』『秋』『冬』と共に拍手お礼でした。『春』なんでほの甘く。