ぼさぼさと降り止まない雪を傘で受け止め、俺はすっかりおなじみとなった長谷川のアパートへ続く道を歩いていた。車通りの激しい大通りを曲がり、細い道へと入り込む。途端に人寂しくなった道を進み、さらに数度曲がる。目的の建物が見えてきた。予め連絡も入れてあるし、待っていてくれているだろう。気持ち足取りも速くなる。と、その時。
 雪と煽る風とは別の、空気を斬る短く鋭い音が、耳元を掠めた。とっさに体を引く。状況確認も出来ていない頭で「狙われている」と直感した瞬間、二人の男に挟まれていた。左前と右後ろの男は共に刀を構えたままじりじりと間合いを窺っている。まずい、と思う。普段持ち歩いている刀が今は無い。だってさァ刀って重いし……今オフだし……。土方の怒っている顔が目に浮かぶ。「武士だろ」だとか「自分の立場を理解しろ」だとか、日ごろの小言が今だけ身に沁みる。
「何の用だ」
 相手を凄みながら用件を訊く。この状況での用件なんて限られてくるが、謀略などを企てている者なら逃がすわけにはいかない。
「仇討ち」
 男の呟いた名に聞き覚えはなかった。冷たい空気が肌を刺す。
 仇討ち。
 その言葉に誤りはないのだろう。俺が今まで手にかけてきた数多くの者の中に、この男たちと関係の深い人物がいたのだろう。
全ての名前など覚えていない。
「そうか……」
 ゆっくりと深く、息を吐く。構えからあまり腕の立つふうではなかったが、二人の覚悟には並々ならぬものを感じた。自らの死をも厭わないと考えているのかもしれない。それほどまでに──
「俺が憎いのか……」
 本気で対峙しなければ危ない。なにせこちらは丸腰なのだから、剣の腕に多少差があろうと不利なことに変わりはない。それこそ殺す覚悟で。
 視界の端で後ろの人影が動いた。白刃が雪の間を切り裂いてくる。切っ先が下りる前に、手にしていた傘の柄で太刀筋を軽く受け、傘後となぎ払った。半身になった俺の隙をついて、左の男が斬りかかってくる。すぐさま視線を戻す。振り下ろされた刀の鍔元をかじかむ手で受け止め、懐に入り込んだ。左手で刀を牽制したまま右手で男の脇差を引き抜き、男の腹に突き刺した。握りが緩んだ刀を奪い取り斬り伏せる。ばっ、と吹き出した男の血しぶきが全身にかかる。雪に赤い血が走る。
 暖かい。
 冷えた体で感じる温もりに、背筋が凍りついた。強烈な吐き気が襲ってくる。他の命と引き換えに自分が生きる感覚。気持ち悪い。取り払いたい。消し去りたい。
 膝を折りそうになる衝動を堪え、奪った刀を手に振り返えろうとしたその時、斬り伏せた男が倒れながら
「退け!」
と叫んだ。声にこもった気迫に一瞬びくりと動きが硬直する。言われたもう一人の男も同様で、動きかけた刀が躊躇している。ちらりと背後に視線を流す。荒れた雪の上に倒れたまま動かない。体の下から雪と混じり血が広がる。最期に仇討ちの達成ではなく、仲間が退くことを望んだ。男は判断を迷っているようだった。不安定に眼球が動き、倒れた仲間と俺とどこか別の場所を見ている。
 退いてくれ。力の入らない手で男に刀を向ける。退くのなら追わない。だが向かってくるようであれば、俺は斬る。
 短い逡巡の後、男は退くことを選んだ。出直すことにしたのか、もう諦めたのかは分からないが俺はほっとしていた。雪を染めていた赤は、新たに降り積もっていく雪に覆われ、大部分が消えている。体温の低下と共に男の死体にも徐々に侵食を始めた。雪はいいな。見たくないものを隠していってくれる。震える喉で白く息を吐き、目を閉じた。なんだかとても疲れた。刀を掴むときに左手の親指の付け根を切ったらしい。その傷が今更になって鈍く痛む。俺はその場に倒れこんだ。
 俺は何をやっているのだろう。他人に恨まれ、命を狙われ逆にその命を奪って生き永らえている。そうまでして今の場所に固執する理由があるのだろうか。将軍のため。幕府のため。市民のため。この国のため。理由はいくらでもあった。それなのに酷く利己的な行動に思えてくる。対象がぼやけて全て自分のためだけ、という錯覚に陥る。真選組として動くことにした一番大きな動機は、土方たちに刀を持たせてやりたかったからだ。自ら剣を持つためよりは、与えてやりたかった。そのことを恩義に感じている土方らが、俺のために剣を振るっているのは傍にいてよく分かる。俺自身も真選組の仲間を支えにしている節はあった。だがそれだけでは足りない。
 雪に接した面から煩わしい自分の体温が奪われていった。死体と同じように俺にも雪が積もっていく。どんどんと皮膚の感覚が失われる。冷たいとか痛いとか辛いとか、そんな感覚すら消えていく。疲れたと思っていたら今度は凄く眠たい。こんな往来の真ん中だが、そんなことすらもうどうでもいい。
「おいっ!」
 誰かの手が頬に触れた。感覚のなくなった体に、じんわりと温もりが伝わる。
「どうした!大丈夫か?」
 この声は知っている。びたびたと頬を平手打ちされる。
「おいっ死ぬなよ!」
「いやいや、死なないから」
 声の主が見たくて目を開けると、落ちてくる雪と俺の顔を覗きこむ心配そうな顔が見えた。
「長谷川さん」
「どうしたんだよ、凄い血だぞ。ちょっと我慢してろよ。今、救急車呼ん──」
 俺に積もっていた雪を払い除けながら携帯電話を取り出され、慌てて起き上がった。
「いや、これ俺の血じゃないんでホント大丈夫です。全部返り血だから」
「だったらこんなとこで寝んなよ!紛らわしい。雪降ってるんだから下手した本当に死ぬぞ」
 袖口で顔の血を拭い取られながら、長谷川に怒られた。
「大丈夫ですよ。そう簡単に死なねェって」
「こんな街中で物騒な真似しといて……」
「それも大丈夫ですよ。真選組に連絡すれば死体は回収されるし、身元の確認と背後関係も調べてくれますから。大事になる前になんとかなります」
「じゃなくてさァ」
 長谷川の声が苛立つ。
「不用意に危ないことするなって言ってんだよ。さっきから『大丈夫』『大丈夫』言ってるけど、ならこの傷はなんなんだよ」
 眉を顰めて俺の左手を持ち上げる。親指の傷口からは血が流れ出ていた。目を凝らすと割けた肉の奥に骨が見える。
「これは普通大丈夫とは言わねェよ」
「……そうですね」
 情けなく笑う俺の頭に長谷川の手が伸びてくる。こうしているうちにまた積もってきた雪を優しく払われた。
「なんだっていいから無事でいろよ。命あってのもんだろ」
「無事ですよ」
 長谷川の手が暖かすぎて泣きたくなってくる。
「長谷川さん、万事屋の連中と馬鹿やってるの好きでしょう。口じゃ文句言ってるけど、あいつらといるときが一番楽しそうだ」
「どうしたんだよ、急に」
「別になんでもない」
 その日常を護ることが、長谷川の幸せを護ることに繋がるのなら、血を被ってでも生きる理由になる。俺はそれが望みなのだと気付いた。
 そうさせてくれ。俺が勝手に思っているだけでいいんだ。
「でも、お前といるときも楽しいよ」
 そういった長谷川は、照れたように笑っていた。

─終─



   あとがき

 局長らしくないなぁと思いつつ、これもありかなぁ……。殺陣シーンは難しいです。迫力あるアクションとか私には無理だと思う。