局長不在と土方副長

 床板がきしむ。障子を開けると、土方は崩れるようにしゃがみこんだ。近藤の私室はしんと静まり返り、部屋の主がいないことをイヤってほど、思い知らされる。急な出張だったため部屋は雑然と散らかり、脱いだ衣類もやりかけの仕事もそのままになっている。今にも現れそうなのに、非情なくらい空気は無機質に冷えていく。
 土方は深く長く息を吐いた。このところ溜め息の回数が増えている。局長がいないと副長は輪をかけて忙しくなる。いつも以上に沖田は突っかかってくるし、伊東は突っかかってくるし、万事屋まで突っかかってくるし、いい加減うんざりだ。
 障子に透けて月明かりが落ちる。時刻は夜の十一時。携帯が鳴り出した。確認するまでもない。ズレはあるが毎晩、近藤から電話がある。
『あ、トシ?俺。今大丈夫か?』
 肉声とは違い荒れた機械音。それでも近藤の声には違いない。携帯電話を耳に押し当て「大丈夫」と答える。近藤は今日の真選組の様子を訊ね、特に問題ないことに安堵し
『それでな』
と気まずそうに切り出した。
『まだ帰られそうにないんだわ』
 やっぱり、と土方は思う。第一声の調子で薄々感じ取ってはいた。
『もうちょっとしたら帰れると思うんだけどな』
 同じことを言いながらもう一ヶ月になる。
『本当、悪いな。大変だよな。トシか先生だったらもっと上手くやれたんだろうけどなァ』
「だったら今からそっち行くよ」
 冗談めかして笑っていた近藤が、えっと息を呑んだ。
「俺がいりゃさっさと帰ってこれんだろ」
『そりゃ、そう思うけどよ』
 近藤が困った様子になっても、なんら申し訳なく思わなかった。むしろもっと困らせてやりたいとさえ思う。
『屯所はどうすんだよ』
「総悟がいる。伊東だっているしなんとでもなる」
『トシ、俺が任せたのはお前なんだぞ』
 近藤に言われ、言葉に詰まった。その俺が限界なんじゃないか。
「だったら、あんた、いつ帰ってこれんだよ」
 なんだって近藤はそんなに冷静なのだ。諭すような言い方に腹が立ってくる。腹が立つのに怒って電話を切ることも出来ない。
「もうちょっとしたらとかなんとか言いながら一向にその気配がねぇじゃねぇか。そっちでなにやってるか知らねぇけど、帰る気あるのかよ」
 電話口で近藤がむっとしたのがわかった。
『俺だって早く帰りたいさ。お前らに迷惑かけてすまないと思うよ。もし手が足りないならとっつぁんに頼──』
「そうじゃない」
『トシ……』
 付き合いきれんと言わんばかりに溜め息が漏れる。
「そんなふうに呼ぶなよ」
『じゃあどうして欲しいんだよ』
 なんで、ただ会いたいだけだってわかってくれない。
『トシ』
 まただ。やめろつったのに、またそうやって名前を呼ぶ。鬱陶しい荷物を扱うみたいに面倒そうに呼ぶな。近藤が聞こえるくらい深い溜め息を吐いた。
『愚痴は帰ったらいくらでも聞いてやるから。忙しいだろ。もう切るな』
 ひゅっと気管が狭まった。
「あ……」
 ごめん。言おうとしたのに喉が絞まって声が出ない。
『……出来るだけ早く帰れるようにするから。な。じゃ、また連絡する』
 労わるような優しい言い方だった。
 切られた電話をかけなおすことも出来ず、ただ携帯を握り締めていた。最低の気分だった。激しい後悔と自責の念が土方を襲う。こんなはずじゃなかった。一ヶ月前近藤を送り出したときは。大丈夫なはずだった。会えなきゃ不安だなんて、そんな今更ないだろう、ガキでもあるまいし。
 土方を捜す山崎の情けない声が廊下を走っていった。薄暗い部屋でその声を聞き、今日何度目かの溜め息を吐く。目を閉じ深く息を吸い込み、開いた。障子を開け横柄なくらいに廊下を歩く。
「山崎ィ!」
 屯所の外が騒がしい。夜の空は人工的に光り、落ち着きを見せない。多分まだ、夜は長い。

─終─



   あとがき

 タイトルのまんまですが『局長不在と伊東参謀』の土方サイドです。伊東先生に「贅沢だ」と怒られそうな土方です。