いよいよ明朝に金環日食を控え、江戸はお祭り気分に沸いていた。観測に必要な眼鏡だけでなく、アクセサリーやフードと、記念碑感覚でいささか強引なタイアップ商品が至る所で見られた。次に江戸で観測できるのが三百年後と言われてしまえば、せっかく生きているうちに観られるんだからと、さして興味がなくとも便乗したくなるのが人情だろう。
近藤もまたそういった人間の一人であった。元々イベント好きではあるが、一段と浮き足立った様子でいるのはある計画を策定しているからで、だがまずは会えなきゃ意味がないと仕事の合間を見計らい、携帯を取り出したのと着信音が鳴るのとがほぼ同時だった。
見れば今まさにかけようとした相手からで、近藤はそわそわと通話のボタンを押した。受話口から寝起きのような気だるげな声が聞こえてくる。
『よう』
俺だけど、と坂田が呟いた。
「どうした」
『やー……特に用ってわけでもねぇんだけど……』
照れ臭そうに濁る語尾に、胸の導火線が次々点火される。好きだ大好きだと叫びたい気持ちが笑い声になって漏れ出てしまう。
「俺忙しいんだけど」
『なにやってんだ』
「金環日食の準備」
『……ンだよ、暇じゃねーか。いいの真選組、そんな呑気で。税金で食ってるチンピラなんざ、税金払ってるヤーさんよかタチ悪いわ』
「バッカ、おまっ、金環日食舐めんな!肉眼での観測は大変危険なので絶対にしないでください!」
『舐めてねーよ。好きだよなぁお前ら、そういうナン十年ぶり、とか、新発売とか、どこそこオープンだとか』
「うん好き」
『なにそれ可愛いなチクショウ。あ、聞いて聞いて俺すっげぇ格好いい口説き方思いついちゃったよ』
にやけた声が笑いを堪えている。お前のが可愛いわと思いながら「なに」と口元を綻ばせる。にやけている自覚は大いにある。
『二人で金環日食見てるだろ。女が“わぁすごーい。本当に指輪みたーい”とか言ったときに、ぐっと太陽を握りこむんだよ。手を開くと一つのリングが。“君だけの金環日食”』
「ロマンチ!」
近藤は笑いだしていた。電話越しに坂田も笑っていた。
『ねーな』
「ないわー」
『ハンサムすぎんな』
「スマートすぎるわ」
『イケメンなんざ目じゃねえよ』
互いに「ないわ」「ねぇわ」と笑いあう。大袈裟なほど馬鹿笑いしながら、近藤はどんどん胆の冷えていくのを感じた。小さな四角い箱をぎゅっと握りしめる。
──前日でよかった。
ひとしきり笑ってちょっと落ち着いた頃、坂田がいつもの眼と眉の離れた感じの、だらっとした、しょうもないことを提案する調子で口を開いた。
『つーことで、明日の朝俺んとこ来いよ。お前に金環日食やるから』
冷え切った五臓六腑が燃え出した。
─終─