近藤は往来のど真ん中で出くわした坂田の、腹付近から目が離せずにいた。着物の中で白くて小さいものがもぞもぞと動く。じっと凝視していると、顔を出したそいつと目が合った。
「どうしたんだ、これ」
そこにいたのは白い猫だった。子猫というほど小さくもないが、大きくもない。手を差し出すとふわふわした柔らかい毛が指先をくすぐる。猫は近藤の手を特別嫌がる様子も見せず、ふてぶてしい態度で撫でられていた。どことなく誰かを彷彿させるが……可愛い。
「今朝万事屋の裏に丸まっててよォ。迷子だか捨て猫だか知らねェけど、定春いるからうちには置いとけねェし、飼い主見つけてやらないと。あ、真選組に届けとかきてねえ?」
「俺らお巡りさんじゃねェから」
顎の下を撫でつつ探ってみるが首輪の感触はない。確かに捨てられたのかも知れない。
「そうだ、こいつ真選組に置いてくれね?」
「なんで真選組に」
随分と気に入ったようだし、という言葉は飲み込んで、坂田は答えた。
「動物でもいればイメージアップに繋がんだろ。ほら、名物局長とかになってよ。まぁ真選組には誠ちゃんてゆう人気マスコットがいるけどな」
「人気ないから!そもそもオフィシャルでもないからね!」
文句言いながら猫の頭を撫で続けている近藤を、坂田はニヤニヤしながら見ている。
「いいから置いてやってよ。名前“銀さん”だから」
「“銀さん”ておまえ……流石にどうなのそれ」
「銀鱈好きみたいだから、こいつ。おかげで俺の朝飯とられちまってよォ」
「あぁ……銀鱈……」
納得出来るような出来ないような理由だ。撫で繰りまわしながら近藤は唸る。
「いやぁ、でもなぁ……トシ怒りそうだしなぁ……。総悟猫アレルギーっぽい顔してるし……」
「なんだよ、ぽい顔って」
「いやあぁ……でもなあぁ……」
坂田に抱えられた猫がけだるい声で鳴いた。撫で回されて些かうんざりしたのかもしれない。つれない態度で坂田の懐に体を丸めた。そんなところすら可愛く思ってしまう。中々踏ん切りのつかない近藤を見かねて、坂田がぽつりと漏らした。
「少し考えてみろって。銀さん(猫)との暮らしを」
そして滔滔と語りだす。
穏やかな昼下がりに縁側での日向ぼっこ。日に照らされた柔らかい毛並み。気まぐれわがままな銀さん。気が乗らないときは見向きもしない。しかし疲れて帰ると、そっと寄り添ってくる、その姿に疲れが軽くなるのを実感する。
そんなある日、徹夜で仕上げた書類を銀さんが消去してしまった。疲れも伴い、つい必要以上に口調がきつくなる。
「出てけ……!」
しまったと思った時は既に遅し。一度口にしてしまったことは取り消せない。だが当の本人は気にもかけない様子で、ぷらっと部屋からいなくなった。後悔の念を抱きつつ、どうせいつものことだと思い、やがて気にしなくなっていった。
その晩、銀さんは帰ってこなかった。
気まぐれの多いやつだから。そんなふうに最初は考えていた。しかし姿の見えない日が一日二日と過ぎていくうち、心配と不安が徐々に形になっていく。銀さんが消えてから一週間が経っていた。
朝からの雷雨。窓を打つ雨の激しさに、気がついたら駆け出していた。轟く雷鳴が空を覆う。大粒の雨が隙間なく道路に降り注ぎ、跳ね返りで視界が霞んでいる。大声で名前を叫び続けた。当てなどない。風が唸りをあげて傘を煽る。それでもじっとしてなどいられなかった。いつの間にかこんなにも、銀さんの存在が大きくなっていたことを、今更になって気がついた。遅すぎたとは思いたくない。
「銀さんー!」
雷鳴と雨音と風の隙間から、かぼそい鳴き声が聞こえた。立ち止まり土手の上から辺りを見回す。土砂降りの川原に人気はなく、雨の音ばかりが耳を塞ぐ。
「銀さーん!」
呼応するように微かだが確かに鳴き声は聞こえてくる。次の瞬間、草茂る土手の斜面を駆け下りていた。傘が飛ばされた。そんなのはどうでもよかった。息を切らせて橋の袂に駆けつけた。橋の下とはいえ雨は関係なく吹き込んでくる。隅で丸くなっている姿は一段と小さく見えた。
「銀さん」
上目遣いで向けられた眼差しが、一瞬だけ合ってすぐにそらされた。軽く柔らかい髪は濡れそぼち、額や頬に張り付いている。
「もう怒ってねェから」
手を指し伸ばし頬に触れる。頬は冷たく、寒さで細かく震えていた。かくいう自分の手だって感覚などほとんどないのだが、それでも触れた頬の感触ぐらい感じる。
「帰って来い」
銀さんは険しい表情のまま目を伏せた。そんな顔をしないで欲しい。頼むからそんな──。
「お前のいない生活なんて考えられないんだ」
「『遅ぇんだよ、気づくのが』そういうと銀さんは差し伸ばされた手を掴み……」
「……ぐ…ふぐ…ぅ……」
正直涙が止まらない。本当にいない生活なんて考えられない気がしてきた。いや、考えられない。坂田の両手を取り、ぎゅっと握る。
「もう離さんからな」
「あらら。そんなに俺のことが」
「……て、えぇぇぇ!あれぇぇ!なにこれ、すり替え?刷り込み?」
「お客さん、変な言いがかりは止めてもらえます?うち信用第一でやってるんで」
「知らねェよ!興味ねェよ!大体──」
「銀ちゃん!」
叫びに近い女性の声が近藤を遮った。状況を把握するより先に、一人の女性が坂田の腕から白い猫を抱き上げていた。二十代半ばほどのその女性は、「よかった」だとか「探した」だとか呟きながら、心底安堵した様子で猫を抱きしめている。坂田は坂田でへらへらしながら猫を見つけた経緯を喋くっており、近藤は事の理解もままならないまま二人のやり取りを呆然と眺めていた。
「いやぁまさか本当に銀さんだったとはねぇ」
別れ際にも何度も頭を下げる女性に、軽薄な笑顔で手を振り返しながら坂田が漏らした。猫と、女性の後姿を無言で見送る。
「銀さん……」
「ん、なに?」
「お前じゃねェよ……」
力なくため息をつく。なんだろうこの虚無感は。まるで半身を失ったみたいに虚しい。
「そう分かりやすく落胆すんなよ。お前には本物がいるだろ」
坂田の慈愛に満ちた眼差しに近藤は動揺していた。信じられないほど優しい微笑みを向けてくる。
「本物って……」
戸惑う近藤の肩に坂田が手を置いた。
「本物の公式マスコット、誠ちゃんが……!」
「いねぇよ!」
慈しむ目の奥に隠れていたにやけ面を、思い切り殴ってやろうかと思った。
─終─