俺は屋上へ続く階段をけだるい足取りで上っていた。何もかも嫌になるくらい暑い。午後の授業はとっくに始まっていて、静かな校舎内に自分の足音ばかりが響く。階段の先にある屋上のドアには、真っ青な空が映っていた。
 立て付けの悪いアルミのドアを押し開けると、蒸し暑い空気を吹き飛ばす強い風が吹いた。日差しの強さも風のお陰でそんなに酷くは感じない。取り出した煙草に火をつけながら風に逆らって右を向くと、思わず目を見張った。屋上のど真ん中で大の字になって眠っている奴がいる。このクソ暑い中わざわざ屋上で寝ようとする気が知れない。そんなことする馬鹿は誰かと覗き込んだら、見覚えのある顔に溜め息が出た。その顔に「近藤」と呼びかけた。
「昼寝か?」
「あれっ坂田先生!」
 名前を呼んだだけで目を開いた近藤は、寝ていたとは思えない目覚めの良さで飛び起きた。
「先生、自分の授業サボったんですか」
「坂田先生は体調が悪いので、今日の授業は自習です」
「残念。俺、先生の授業楽しみにしていたのに」
「嘘吐け。じゃあ、なんで俺より先にここ来てんだよ。サボる気満々じゃねェか」
「そっちこそ元気ハツラツだろ」
「嘘じゃないよ。ニコチンと言う名の糖分が不足して瀕死の状態だったから」
 近藤が声を上げて笑った。
「意味解んねェー。煙草くらい職員室で吸えばいいじゃん」
「馬っ鹿、今のご時勢喫煙者がどんだけ肩身の狭い思いしてるか知らねェのかよ!」
「俺は非喫煙者だから」
 笑っている近藤を見ながら、出入り口が作る日陰に移動する。逆に近藤はフェンスのほうへ歩いていった。こんな直射日光とそれに熱せられた床の間で寝る気になれるもんだと感心する。熱中症とかなるだろ、普通。まぁ、そんなところで煙草を吸おうとする俺も人のことは言えないけど。
「寝るにしても他にもっと涼しい場所あっただろ」
「下は狭いからなァ。時々広いとこに出たくなるんですよ」
「あー……」
 解らないでもないな、と俺は少し思った。空を見上げて煙を吐き出す。遠くで飛行機の飛ぶ音が聞こえた。
「暑いな」
「そうだ、これから海行かねェ?」
「行かねェよ。何でお前と二人で海行かなきゃなんだよ」
「平日の真っ昼間だから絶対空いてるし」
「行かねェって」
「途中で花火とか買ったりしてさァ」
「だから、行かないって」
「だったら祭りはどうすか。今週末の」
「嫌だよ。何で学校は慣れても一緒にいなきゃなんねぇんだよ。俺はお前の彼女か?」
「文句ばっかだなァァ、あんたァ。それなら先生は何がしたいんだよ」
「俺かァ。俺なァ……」
 これと言って思い付かない。第一の希望だった煙草も吸えたことだし。壁にもたれたままぼんやりと近藤を見やる。炎天下によくいられるものだ。元気だよなァ。
「暑い……」
「ちょっと先生、さっきから暑い暑い言いすぎですよ!そんなに暑いんなら海に──」
「お前さ、コンビニ行ってアイス買って来いよ」
「生徒パシらせるなよ!」
「金渡すって。お前の分も買っていいからさァ。じゃ、俺抹茶な」
「しょうがねェなあ」
 差し出された財布を近藤は渋々受け取った。そのまま俺の横を通り抜けようとする。やたらと攻撃的な太陽が白いシャツを際立たせていた。
「あぁっと……ちょっと待て」
「何?」
「やぱっり俺も一緒に買い行くわ。間違ってモズクとか買ってこられたら困るし」
「流石のそれはないだろ」
「或いはキムチとか」
「色すら違うし!もしかして先生、腹減ってんの?食いたいなら買ってきますよ」
 なんでこんなに煩ぇんだよ、と眉を寄せると近藤が「まぁ、いいや」と嬉しそうに笑った。
「ついでに花火も買っていいすか」
「小さいヤツな」
 心底嬉しそうな近藤を見て口元を斜めにする。日陰から出た途端眩しくなった日射しに、思わず目を細めた。

─終─



   あとがき

 近藤が先生と呼んでるのが、今読むとなんか意外と言うか初々しいというか……。あほな話だなぁと思います。