幸あれ

 沖田は建物の影から、真っ青な空に恨みがましい視線を投げつけていた。影の中にいるものの、地面から立ち昇る熱気は容赦ない。追い立てられた蝉が一分の隙もなくギャーギャーと騒ぎ続けている。姿は見えないがこの煩さは確実に近くにいる。木々に落ちた影も黒々している。アイスの水色だけが異様に爽やかだった。
 こんな炎天下に立ちっぱなしだなんて人権侵害ものだ、と沖田はぼやいた。日本庭園に人員配備とは野暮な所業だろ。どんな脅迫状が来たか知らないが、幕府の要人てのには胡散臭い輩が多くてどうにもモチベーションが上がらない。熱いしだるいし面倒くさいし汗かくの好きじゃないしやる気が出るはずがない。溜め息混じりに溶けかけのアイスをかじる。無線が入り、右耳のイヤホンから土方の声が響いた。
『各自配置についたか』
「沖田、異常なしでィ」
 アイスの塊で口腔内の感覚が麻痺する。ソーダ味も分からないほど冷たい。
「なにが異常なしだよ」
 無線ではない肉声が左耳から聞こえる。じゃり、と地面を踏む音がして土方が姿を現した。面倒くさいのが来た。気付かれない程度に顔をしかめる。
「無線の意味がねェだろう、副長」
「こっそりアイス食ってる隊士がいるから見て回るはめになんだろ、一番隊隊長。近藤さんがいねェからってだれてんじゃねぇよ」
 ごちゃごちゃ続く土方の小言に適当な相槌を打つ気も起きない。蝉の声と土方の声が混ざっていくのを、うんざりと聞き流す。煩いのは蝉ばかりで、静まり返った肝心の屋敷からはなんの騒乱も起こりそうにない。上から警護の命が解かれるまでこの状態が続くかと思うと、心底辟易してくる。結成されて一年以上経つが、真選組の勤務体制は変わらず過酷だ。
「──お前、なんか悩みでもあんのか?」
 何気なく見た食べ終えた棒には『あたり』の刻印がされていた。
「はぁ?」
「最近総悟の様子がおかしい、つって近藤さんが気にしてたからよ」
 手にしていた棒を地面に突き刺した。本当に、ウザイ。
「はぁ……。土方死ねばいいのに」
 わざとらしい溜め息を吐いて立ち上がる。
「どこ行く気だ。持ち場ここだろが」
「だったらてめェの持ち場に戻れよ、土方副長」
 沖田の態度は土方の癇に障ったらしい。一瞬土方の口角が引き攣る。だが二人の間に割って入ったのは緊迫した無線の声だった。
 銃声が蝉の声を切り裂いた。

「つい、てねェ……」
 警護にあたっていた他の隊士は未だ戻ってきていない。脇腹を押さえ、屯所の門をくぐった沖田はひとり舌打ちした。自らの血で汚れたシャツを忌々しく見下ろす。取り押さえたテロリストに刺されるなんて失態のほかない。そのテロリストを逃がさずにすんだのが、土方によるというのがまた忌々しい。
 中に入ったことで蝉の声は僅かに遠のき、暑さも和らぐ。薄暗い廊下の奥から小走りで近藤がやって来た。
「大丈夫か、刺されたんだって?医者は?」
「今行ってきやした」
「連絡くれりゃ迎え行ったのに」
 部屋に戻るべく廊下を歩くと近藤も並んでついてくる。
「で、どうなんだ傷の具合は」
「大したことないでしょう。着替えたらすぐ現場に戻りまさァ」
「あー、いい、いい。今日はもう上がっとけ。あっちはトシもいるんだし」
 襖を開けると、室内に閉じ込められていた熱気が逃げ場を見つけ、一気に溢れ出てきた。部屋が庭に面しているせいか、一度遠のいた蝉の声が再び勢いを増す。クーラーなんて気の利いたもの部屋にないし、こもった熱気は空気ごと入れ替えるしかなかった。こんなところまで煩い蝉の声にうんざりする。腕を上げることすら煩わしいほど体が重い。
「総悟はすぐムチャすっからなぁ。トシもいんだからひとりで突っ走らんでも」
 障子戸にかけた沖田の手が止まった。小さく舌打ちする。
「どうした?」
 一向に開けようとしない沖田に、近藤が不思議に思ったらしい。畳を擦る音が近付く。
「二言目にはトシトシって、馬鹿の一つ覚えみたいに。あんたホントに土方さんのことしか頭にねェんですねぇ」
「えっ」
 殴る瞬間、近藤の驚いた顔が目に入った。脇腹に激痛が走り、顔も覚えていないテロリストに腹の内で悪態を吐く。刀の柄が畳をすべり、音を立てて落ちる。隙の出た近藤の胸ぐらを掴み、引き倒した。横倒しになった近藤を後ろ手で押さえ拘束する。
「ちょ、総悟、なんだこれ」
 近藤が首を捻って沖田を見上げようとしてくる。沖田は眉一つ動かさず、近藤を見下ろした。
「聞きましたよ、土方さんから。俺の様子が変だってあんたが心配してること」
「あいつ……」
 決まり悪そうに濁した語尾が「トシのやつ……」と小声でぼやいている。
「いやいや、心配してるんじゃなくてよ、俺は総悟のこと信じてるし、自主性も重んじてるし」
「そういうの凄ぇウザイ」
 近藤の背中に格子の影が落ちていた。なぞるように手を添える。薄いシャツ越しの肌が湿り気を帯びていた。
「親子でも兄弟でもないのに保護者面ですかィ。ウザイんですよ、そういうの」
 締め切ったままの部屋はむせ返るほど暑い。格子をなぞる指がぎりぎりと爪を立ててゆく。
「俺はあんたに心配してもらいたくなんかない」
 近藤の手が、小さく動いた。背中の痛みのせいか近藤の顔が歪む。
「してねェよ、心配なんか」
 けど、とまた語尾を濁した。
「それこそ子供か弟みたいで、俺には総悟が可愛くて仕様がないんだよ」
「親でも兄でもねェだろ」
 かすれた声に奥歯が軋む。
「親でも兄でもねェくせに」
 うなだれ、眉をしかめる。額から汗が噴出した。傷口が開いてきたらしい。激しい熱が脇腹に刺し込む。呼吸が浅くなる。爪を立てた手を握り締め、薄いシャツの背中に額をつけた。
「総悟?どうした?大丈夫か?」
 沖田の異変を察し、近藤が押さえつけられた体を捻ろうとする。
「総悟いい加減そこ退け」
 沖田は返事をせず、無言で拘束する力を強めた。やっぱり心配してんじゃねェか。口の中で呟く。傷が痛い。
「だったら俺のことだけ考えていろよ」
 日が落ち部屋中が朱に染まる。近藤の背中も赤く色付く。蝉の声が遠い。隊士たちの声も遠い。近いのは自身の呼吸、鼓動、痛み。それだけ。

─終─



   あとがき

 反抗期で思春期な沖田。なんとなく中学生くらいの気持ちで書いてました。最初は沖田がもっと好き好き言ってたんですが……。推敲を重ねるたびに可愛げがなくなってる気がする。
 いつも通り当初の予定から大きく変わって行き、もはや別物になっていました。タイトルとアイスの棒は名残です。