白ク散ル

 生垣の内側に桜が咲いている。庭木にしては立派で、周りの植木と比較しても十分に庭の主役として存在している。近藤は生垣の横を歩きながら、総悟の体調はどうだろうかと桜の木を見上げた。沖田の病気が発覚したのはそう古い話ではなかった。本人がのらくらと、医者に診てもらうことを拒み続けていたために、何年もぐずぐず患っていた肺の病は手遅れなほど悪化してしまっていた。短い入院生活の後、沖田の強い希望もあり、屯所から遠くない場所にある親しい人間の家に身を寄せ始めた。
 桜の花びらが地面の上にまだら模様を作っている。もう春が終わろうとしていた。

 玄関で声をかけるのをふと思い止まり、一度庭に回ってみることにしてみた。外から見た桜を少し見ようかと思ったからだ。毎日来ている家だから不審がられることはないだろうと勝手に判断して、玄関わきから庭へと入る。
 広くはないが丁寧に手入れされた庭は、やわらかな新芽があちこちで顔を出している。その中央で桜の古木は四方に枝を伸ばし、花を咲かせていた。風が吹くたびに枝ぶりが揺れ花弁が散っていく。敷きつめられたその根元に人の姿が見える。誰かが横たわっている。
「総悟」
 桜の木の下で沖田は眠っていた。白い長襦袢に肌に髪に、はらはらと桜の花びらが絶えず降り積もり、その輪郭を溶かしている。肺を患った沖田の顔は日に日に痩せ衰え、今では見る影もなくなってしまった。顔に落ちた花びらを指先で優しくはらう。桜の花びらに埋もれ、このまま消えてしまいそうだった。少しだけ語気を強めて再び名前を呼ぶ。
「総悟、眠いなら布団で寝てろ。風邪引くぞ」
 昔と変わらない大きな眼が開き、微笑んだ。
「来てくれたんですかィ」
「来るよ、毎日」
「さっきまで土方さんも来てましたよ」
「そうだったか」
 近藤は沖田に自分の羽織を羽織らせ、部屋に連れて行くため抱き上げようとした。だが、腕をやんわりと制される。
「桜を見ていたいんでィ」
 そう言って幹にもたれると首をそらせる。黒目がちの瞳に桜の花が映る。つられて近藤も目を向けた。黒くごつごつした幹は触れるとひんやりと冷たい。ひとつ、またひとつと花びらは散ってゆくのに、枝は変わらず無数の小さな花をつけている。このままずっと降らせ続けるのではないかと思った。
「桜の木の下には死体が埋まってるらしいですぜ」
 意味が解らず沖田を見ると、それが楽しいのか沖田が笑った。僅かに覇気の戻った顔を見て、自然と近藤の表情も和らぐ。
「なんだよ、それ。物騒だなぁ」
「昔そんな話を読みましてね。そん時は作家ってヤツが好みそうな話だとしか思ってなかったんですが、今は少しだけ解る気がしまさァ」
 空気の抜けるような息遣いで沖田が喋る。目を細めて木を見上げる沖田は、桜しか見えていないようだった。そっと手を取る。骨の浮く沖田の手は驚くほど冷たい。
「なぁ、寒くねェか?そろそろ部屋に戻──」
「近藤さん」
 沖田が近藤の言葉を遮った。本当に寒くなってきている。冷たい指先を手の中に包み込む。
「もし俺が桜の頃に死んだら、桜の木の下に埋めてくれねェいか。そしたら毎年盆と命日には会いにくるから、酒でも交わしながら思い出話でもしましょうや。それまで、それ以外のときは、俺のことは忘れていてくだせィ」
 冗談めかした口ぶりで沖田は笑う。近藤は先ほどのように笑い返すことが出来なかった。
「あんたは土方さんと生きなきゃダメだ。なにがあっても絶対に死ぬんじゃねェよ」
「総悟……」
 続く語が見付からない。今の自分には凍えた沖田の手にぬくもりを帯びさせようと、必死に握り続けることしか出来ない。近藤の濃紺の羽織にも白い花びらは積もってゆく。沖田の眉が歪んだ。その直後、細い体が弾かれたように前に折れ、激しく咳き込み始めた。
「総悟!大丈夫か?……総悟?」
 咳は止まらない。背中を丸め、苦しそうに息を継ぐ。沖田の手が、包んでいる近藤の手を強く握ってきた。応えるように近藤も力を込める。
「総悟、やっぱり部屋に……」
 イヤだ、と沖田が首を振る。髪に乗っていた桜の花びらが一枚、落ちてきた。
「──名前」
 かすれた声で吐息と共に呟く。
「名前、呼んでくれませんか」
「総悟」
「もっかい」
「……総悟」
 沖田が乱れた呼吸を整えている。近藤は繰り返し名前を呼び、掴んでくる手を握り返す。だが十八度目に呼んだとき、沖田に手を振りほどかれた。
「総悟?」
 振りほどいた手はそのまま沖田の目元を覆う。下から見える口は笑おうとしていた。
「あー……やっぱりあんたがいると甘えそうになっていけねェや」
 独り言ともつかない囁き。強い風が吹いた。
「だからもう、来ないでくれねェか」
 ざわり、と大きく枝が揺れ、残っていた花を一息に飛ばしはじめた。辺りが白く埋め尽くされる。
「嫌だ」
「嫌って……随分と身勝手じゃねェですかい。俺が──来るなって言ってるのに」
 俯いたまま笑おうとする沖田の頭をなで、その顔を覗きこむ。眉尻の下がった顔が、表情を強張らせ近藤を凝視してくる。
「嫌だ」
 額をあわせる。
「ホントに嫌だ」
 何か言いたげに睫毛がふるえ、ゆっくりと閉じられた。
「自分勝手だなァ、近藤さんは……」
 細い腕が近藤の首に回される。
「俺がいなくなったら、土方さんは苦労が絶えねェだろうなあ」
 沖田の体は細く軽く、しっかり抱きしめていなければ消えてしまいそうだった。抱きしめる力が強くなる。骨が軋む。着物越しに体温が伝わってくる。
「まだここにいるだろ」
 沖田が音もなく笑った。桜は大粒の雨のように音を立てて降り続け、微かな痛みを伴って近藤の頬を打つ。無数の花びらが一斉に吹き荒ぶ様は、美しいけれど、悲しかった。

─終─



   あとがき

史実なんて取り込んでみようとしたら、ただの死にネタみたいになってしまいました。死んでないですけど。