s 『薄衣』

薄衣

 未だ暗さの残る廊下を裸足がひたひたと歩く。早朝の屯所内には、人々が動き出す直前の、眠りと混じりあった空気が息を潜めている。寝巻き姿のまま沖田は近藤の私室へと向かっていた。歩きながら込み上げてくる欠伸を噛み殺す。
「近藤さん、朝ですよ」
 襖を開けると近藤のいびきが聞こえてきた。掛け布団を蹴散らかしガキみたいに眠る姿に「やれやれ」と溜め息を吐く。朝日を取り込むために障子を開け、窓も開ける。東の空はうっすらと白み始めている。秋風が入ってきた。
「仕事が溜まってるんでしょう」
 「だから早く起こしてくれ」て言ってたのに、どうにも起きる気配がない。
「近藤さん、近藤局長」
 傍らに腰を下ろし、体を揺すってみるも、変わらず眠り続けている。ようやく涼しくなってきたし気持ちも解るが。
 困った人だ。
 頬杖をついて、起きそうにない近藤の姿と辺りを眺める。枕元に灰皿と、そこに乗っている煙草の箱を、見つけてしまった。箱の上のふざけたジッポにはイヤってほど見覚えがある。
「何でこんなところにあるんですかィ」
 のそり、と体を伸ばして灰皿ごと煙草を引き寄せる。三本しか残っていない。が、まぁいいかと思い一本抜き取った。吸い込んで火をつける。
「はぁー……、不味ィ」
 吐き出した煙がゆらゆらと漂う。今まで聞こえていたいびきが止まった。目を覚ましたのかと思い近藤を見る。近藤の鼻が「すん」と動き、仰向けだった顔が沖田のほうへ傾いた。だが目は開かず、また規則正しい寝息が始まる。
 結局起きそうにない近藤を、沖田は見続けていた。ぼんやりと眺め、視線を外さない。ゆっくりとした動作で煙草を口に運び、吸い込み、吐き出す。煙はゆらゆらと部屋を漂う。シーツの上に手をすべらせる。指の間から衣擦れの音がした。眠っている近藤に、少しだけ近付く。ひじを曲げ、首を落とす。
 煙の匂いが鼻をついた。
「近藤さん」
 絞り出すように名前を囁いた。喉の筋肉が軋む。
 近藤の穏やかな寝顔は変わらない。
 喉の奥がざらつく。
「大好きでさァ」
 漂う煙が視界をよぎる。
 軽く軽く、唇が触れた。

 目覚ましのけたたましいアラーム音で近藤は目を覚ました。慣れた手つきでアラームを止め、そこではっと我に返る。慌てて確認した時間に近藤は落胆した。早く起きるつもりが、やっぱりいつもと同じ時刻になっている。反省しつつ、もそもそと体を起こす。馴染みのある匂いが微かに鼻をくすぐった。寝ぼけた頭で誰もいない部屋を見回す。
「……トシ?」
 匂いの正体を探る前に、窓から吹き込んだ涼しい風がそっとさらっていった。

─終─



   あとがき

 19巻を読んで以来、沖田の話が一番考えやすいです。そしてわりと書いてて楽しい。急いで書いた所為か、流れが唐突な気もするけど……。