雪見酒

「こんどうさん、こんどうさん」
 あぁ、総悟。なんだか随分小さいじゃねェか。ここは……多摩の道場の庭か。
「こんどうさん、見てくだせぇ」
 どうした?そんなにくっついたら動きにくいぞ。雪だるまかぁ。ひとりで作ったのか?
「右のでかいのがこんどうさんで、隣にいる小さいのがおれでさァ」
 凄いじゃねェか。上手い上手い。よく出来てる。……あの横になってるのは?失敗したのか?
「あれはひじかたでィ」
 あはははは。トシが見たら起こるぞぉ。今度は一緒に作るか。今は中入ろうな。ほら、耳もほっぺもこんなに冷たくなってる。

 急な尿意で近藤は目を覚ました。辺りはまだ暗く、布団から出ている顔が冷気を感じる。寒そうだなぁと眉をひそめると、布団の端を引き上げながら寝返りを打った。このまま寝てしまえるなら寝てしまいたい。とろとろと眠気に瞼を閉じると、さっきまで見ていた夢が思い浮かんでくる。懐かしい情景だったように思う。雪が降っていた。幼い総悟もいた。詳しく思い出そうとして、そこで意識が途切れた。
が、寝入りばなで再び目が覚めてしまった。いい加減観念して布団から這い出る。案の定空気が凍えている。そうと決めたらさっさと行ってしまおうと、布団にかけていた綿入れ半纏を取り上げた。

 廊下の冷たさが足の裏に張り付く。用を済ませたし寝なおそうと、欠伸を噛み殺しつつ足を速めた。廊下の両側に並ぶ襖の、その一室から微かな光が漏れていることに気がついたのはその時だった。それが沖田の部屋だと分かるのに時間はかからない。足を止め、近藤は襖に手をかけた。
 冷たい空気が抜けていく。廊下よりも一段気温が低いように思える。雨戸が開け放たれ、さらに障子戸まで開いた部屋で、肩から毛布を羽織った沖田が酒を傾けていた。中央の布団は冷え切っており、いつからそうしていたか分からない。行灯の灯りが襖に沖田の影を映している。入ってきた近藤に気付き、沖田の影が揺れた。
「どうしたんでィ」
「総悟こそどうした、こんな時間に。また怖い夢でも見たか」
 まさか、と沖田が微笑む。
「ガキじゃあるまいし」
 何故かその言葉がトゲのように刺さって、思わず沖田の頭をメチャクチャに撫でまわした。
「ちょっと」
「よくゆうよ。散々泣きついてきたくせにィ」
「そりゃいつの話ですかい。ホントに偶々寝付けなかっただけで、ほら、雪見ながら一杯、てのも悪かないでしょ」
 確かに外には大粒の牡丹雪がゆっくりと落ちてきている。既に庭石がうっすらと白くなっていた。
「わざわざ燗までして。昔から寒いの好きだったからなァ」
「別に好きだったわけじゃ」
 見下ろすと、ぼさぼさの髪を直していた沖田が苦笑した。その向かいに腰を下ろす。まただ、と近藤は感じた。またチクリと痛みが刺す。
「俺も貰っていいか?」
 盆に載った猪口を摘まみあげる。同じ盆に載っていた徳利を沖田が取る。
「俺の酌でよければ」
 徳利から猪口へと酒が注がれる。
「なんか変な感じな。こうして総悟と差しで飲むってあんまなかったよな」
「あんまりどころか初めてですぜ。あんた、いつだって土方さんとばっかりじゃねェか」
「む、そうだったか……」
 少し冷めた熱燗を口に含んだ。芳醇な香りと甘みが舌から喉へ抜けていく。
「もう酒とか飲める歳なんだもんなァ。早ェよなぁ」
「公にはまだちぃと足りねェがね」
 二人の間で行き交う一つの杯。それと同時に交わされる他愛のないやりとり。心地良く酔いが回る。体の芯のほうがほんのり温まった気がする。降り積もる雪が静かに時間を重ねていく。いつの間にか庭全体が薄ぼんやりと白くなっていた。
「そりゃあ、俺にだって人に言えない秘密ぐらいありまさァ」
「俺にもか?」
 近藤が尋ねると沖田は微笑み、杯に口を付けた。伏し目がちに二度杯を傾ける。猪口の離れた口から白い息が漏れた。行灯が戸惑いがちに揺れる。雪明りに照らされた沖田がいやに大人びて見えた。猪口を持つ細く長い指が緩慢に動いた。コツ、と音が立つ。盆に猪口を置いた手を近藤はすくい上げた。その手もまた戸惑いがちに身じろぐ。
「冷たいな……」
 指の腹で掌を撫でる。指先を握り、関節に触れる。マメが潰れて硬くなった手のひら。男にしては華奢に見えた手も、節に陰影が出来、より精悍な様相をしている。もう小さくてぷよぷよとやわらかかった子供の手ではなくなっていた。
 いつのまにか知らない友人が増え、知らない恋人が現れ、やがて生涯を共にしたいと考える相手と出会うのだろう。
 「寒い」と繋ぐ幼い手も、「行かないで」と着物を引く手も、もうない。
「ずっと俺だけのだったのに」
 無意識に突いた言葉に、はっと息を飲んだ。空気は冷たく、体が強張る。部屋が寒いということに今さらになって気付いたようだった。
「あれ、なんか俺、今変なこと言ったかも!別にそんな深い意味とないからな!てか意味分かんねェよな!ホント何言ってんだか。あれだな、飲みすぎだな。うん。寝よ寝よ。総悟も早く寝ろよ。ちゃんと暖かくしてな。風邪引くぞ」
 気まずさを誤魔化し一方的にまくし立てると、反射的に掴んでいた沖田の手を離した。離れかけた手が、今度は沖田が近藤の手を、捕まえ、握った。心拍数が跳ね上がる。跳ね上がった意味が分からない。分からない。
「総悟、手ェ」
「寒いかと思って」
 脈拍が戻らない近藤に対し、沖田のほうは平素となんら変わらないように見える。小首を傾げ、口の端で笑った。
「何があんたのなんですかィ?……俺?」
 カッと顔が熱くなる。
「あぁぁあれは……さっきのは……」
 巧い言葉が思いつかず顔ばかりが熱くなる。繋いでいた沖田の手が滑らかに指の間に入り込んだ。
「俺があんたのだとしたら、あんたは誰の?」
 大人びた表情にあどけなさが垣間見える。繋いだ手が振りほどけないのは沖田が離さないせいか。それとも──

─終─



   あとがき

歳も離れてる上に、本当に子供の頃から知っててとなると、抱いて独占欲かなぁと思ったのが発端です。