毒にも薬にもならない二者択一

 広げた書状の上に、窓から差し込む日光が帯を作った。
「眩しくないですか」
 窓際に腰掛けていた篠原がカーテンを閉めようと立ち上がる。和紙に書かれた文字を追いながら、伊東は視界の端を動く人物に声をかけた。
「いつまでここにいればいいのだろう」
「少なくとも一週間は安静にとのことですよ」
 無意識に伊東の眉間が寄る。振り向いたらしい篠原が「早まりませんよ」と釘を刺した。シャッと軽い音とともに光の帯は消えてなくなった。
 白々とした病室の清潔さも、身の回りの世話だけを己の使命と感じているような介添えの姿も、伊東の気を滅入らせた。要らぬことまで思い起こさせる。それでなくとも一日の大半をベッドで過ごす生活の閉塞感に嫌気がさしている。
「ようやく高杉が対面に応じたというのに……」
 つい溜め息が出そうになる。高杉の名前に篠原が反応した。
「やつらがそこまで信用できるとは思えないのですが」
 伊東派と呼ばれる者たちの中で、鬼兵隊と手を組むことを快く思わない人間は篠原以外にも未だ少なからずいる。強気な筆跡をぼんやりと眺めながら、篠原の言葉を口の中で反芻する。信用……信用ねぇ。
「局長暗殺の首謀者を我々が捕まえたら美談だろうなぁ」
 傍らで篠原がぎょっとしたのがわかった。これまでに伊東が近藤の暗殺を匂わせたことはなかった。土方の排斥には同意しても、そこまでするのには未だ抵抗があるようだ。伊東とて近藤に恨みがあるわけではないが邪魔なのだから仕方ない。もう少し隊士らの意識を牽引する必要があるな、と伊東は速やかに計画の軌道修正を施す。残念だが篠原であっても伊東の理解者たり得ない。
「鬼兵隊の知名度と兵力は魅力的だろう。信用できないなら上手に使ってやればいい」
 柔らかい和紙を折り跡に沿って畳んでいると、病室のドアがノックされた。廊下の人物が中に入ってくるまでに、篠原はドアまで出迎えに行き、伊東は折りたたんだ手紙を枕の下に忍ばせる。
 ドアから現れたのはまさしく伊東が反逆せんとする真選組局長・近藤勲その人であった。
「どんな具合だい、先生」
 病院の雰囲気に慣れないのか、どこか緊張した面持ちで近藤は部屋に入ってくる。
「わざわざご足労ありがとうございます。まさかあなたが見舞に来るなんて思ってませんでしたよ」
「来るのが遅くなってしまってすまなかったなぁ。けど思ったより元気そうでよかった。みんな心配してましたよ」
「忙しいときにこんなことになってしまって申し訳ない。土方君に軟弱だと怒られても仕方がないな」
 伊東が冗談めかして笑って見せれば、近藤も表情を和らげる。
「先生は入隊以来ほとんど休みなしで働かれてきたんだから。倒れてしまっても無理はないさ」
 そこで言葉を切った近藤は篠原に目を止めた。手にしていた花束を篠原に渡す。
「篠原、これ活けてきてくれないか」
 この場を離れたくない篠原が、不満を滲ませて伊東を見てくる。
「いただいた桃があっただろう。ついでに剥いて来てくれないかな」
 伊東にまで見放された篠原は渋々といった体で部屋を出て行った。ドアが閉まるのを目で追い、伊東は口を開いた。
「さあ、人払いは済ませましたよ」
 ベッドサイドのパイプ椅子に座った近藤が困ったふうに肩を竦める。
「そう思った?」
「違うのでしたら謝罪します」
「いいや、違わない」
 ふっと短く息を吐き出し近藤の目付きが変わった。戦場に身を置いているかのような真剣さで伊東を見つめる。
「先生が長州……攘夷寄りの藩士と頻繁に手紙のやり取りをしているって本当か?トシが調べさせていたらしい。ぶっちゃけ、トシは疑っている」
 近藤の告白に伊東は少なからず驚いていた。実情は別にして、表向きは近藤派と伊東派は友好的な協力関係にある。土方は伊東らの入隊に懐疑的ではあったが、それを上回るほどの恩恵を真選組に与えてきたし、準備段階にもかかわらず尻尾を掴ませるような真似はしない。にもかかわらず土方は伊東を疑い、行動に移し調べ出した。非情さと鼻の良さに感心すらする。
 さてどう煙に巻こうかとベッドの上で思案する伊東に、近藤は言葉をつづけた。まるで詰問されているのが自分であるかのような悲痛さを含んだ声色だった。
「俺は先生を信用してる」
 熟れた桃の蜜のように近藤の言葉は甘い。窓を覆うクリーム色のカーテンが柔らかい日差しを透かしている。伊東は目を細めた。
「手紙をやり取りしているのは、攘夷思想の藩士を介して鬼兵隊と繋がりを持ちたいからだ。高杉に協力を仰ぎ、君の暗殺を企てている。真選組を内部から食いつぶし、手中に収めたい。組の発展のためにも僕が局長になるべきだと考えている」
 近藤の喉仏がゆっくりと上下するのを見た。
「これが甲」
 伊東は人差し指を立て、続けて親指を立てる。