伊東鴨太郎は憤っていた。ただでさえ白い顔を紙のようにし、ぶるぶると下唇を震わせる。憤懣やるかたないとばかりに吐き出した。
「佐々木異三郎が、僕と、かぶっている!」
何度目か知れない伊東の叫びを篠原は適当に聞き流す。かぶっている、というのは当然個人的な特徴を指している。篠原の返した「言うほど似てないですよ」は誰にも拾われることなく数分前に流れ去っていた。伊東は依然として白い顔に怒りを張り付け、独裁者の演説さながらに芝居がかった声音で口角の唾を飛ばした。
「眼鏡!エリート!インテリ!高杉!」
飛んできた唾に、篠原は露骨に顔をしかめ体を傾ける。
「土方との対立!」
「……先生」
「なんだこのメール弁慶設定!あざとい!なんなら僕も隻腕キャラになるお!」
「それ阿伏兎さんがいます」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと君イ!」
唐突に怒りのベクトルが向けられたが篠原に動ずる様子はなかった。癇癪を起こした子供を宥めもせずすこぶるクールに言い放った。
「今さら言っても仕方ないでしょう。先生、もう死んでるんだから」
築数十年の集合住宅を模したこの場所をこの世とあの世の境目、成仏までの準備区間と、伊東と篠原はそう理解していた。食べる必要はないにもかかわらず食料や生活用品、嗜好品の類は定期的に届けられるし、家具に関しても押し入れの中にいつの間にか現れている。風のたびにギシギシ揺れたり網戸が外れやすかったりと諸々の不満はあるものの、窓辺に腰掛けフォークギターで弾き語りたくなるこの雰囲気、伊東は意外と嫌いではない。なにより家賃がタダなのが素晴らしい。
伊東鴨太郎は未だ不満タラタラだった。
「篠原君がぷりんぷりんな女の子だったら死亡フラグも立たなかったのに……」
「先生自身がぷりんぷりんでもよかったじゃないですか」
「……」
「いい加減成仏しないんですか」
篠原はこんなに可愛げのない男だっただろうか。生前はもっと先生先生と千切れんばかりに尻尾を振ってついてくるような──いや、と伊東は軽く頭を振った。過ぎし日の記憶は美しい。思い出フィルターは死者同士にも適応されるようだ。
伊東の思考を知ってか知らずか、当の篠原は一度訝るように顔をしかめたが、すぐに興味をなくしこたつ中央のみかんに手を伸ばす。色鮮やかで大きく張りのあるやつを選びながら「でも先生」と口を開いた。
「すごく丁寧に弔ってもらったじゃないですか。あんなに大勢に見届けられて、大切にされて、何が不満なんですか」
皮をむく手を止め篠原はわずかに目を細める。
その瞬間、伊東の背後いっぱいに様々な漫画のコマが所狭しと広がった。思い出の数々、名シーン名台詞なにげない日常の一コマまでがきら星の如く輝いている。もちろん実際にそんなものが現れたわけではない。篠原の涙腺直撃攻撃による幻覚である。
これはズルい。伊東は目頭を押さえたい衝動に駆られた。鼻の奥が痛い。言うだけ言ってみかんを頬張っていた篠原がさりげなく箱ティッシュを押しやってくる。全くもって腹立たしい!
「篠原君……君、監察に向いてないよ。もっと人の心の機微を学んだほうがいい」
「結構気遣いできるほうだと思いますけど」
鼻をかみたかったがこのティッシュを使うのは癪なので鼻声で我慢する。ほとぼりが冷めたら使おうと思う。いつの間にか目の前にぽんとひとつ置かれていたみかんを揉みながらテレビのザッピングを始めると、落ち葉で焼き芋を焼こうとする近藤たちの姿が映った。沖田ら数名の隊士がわらわらと集まっている。
「いいすね、焼き芋」
みかんを食べながら篠原が言う。伊東はわざとらしく眉をひそめてみせる。
「なぜこんなにいっつも暇そうなんだ」
葉が湿っていたせいで出た大量の煙が風に吹かれて近藤たちをまるっと包み込み、涙目で咳き込み大笑い、など昭和の新聞四コマでもない限り許されまい。平穏だ。退屈なほど平穏だ。
触れられないのは辛い。声が届かないのは辛い。姿が映らないのは辛い。
伊東は三十二型ブルーレイ内蔵液晶薄型テレビをじっと見つめる。みかんを持つ手が止まっているのを篠原は見ていた。