随分春めいてきたとはいえ、朝の空気は未だひんやりと張り詰めていて、猫になって一日寝ていたいと寝汚く布団の中で丸まる近藤を山崎が叩き起こした。猫になっていたのは土方のほうだった。
食堂に連れてこられた近藤が最初に目にしたのは、朝から元気な隊士たちの人垣だった。何かを取り囲むように立っている、その中央辺りにいた沖田が顔を上げた。いじめっ子の目をしている。
「おはようごぜィます。大変ですよ、近藤さん」
にたぁと口元を弛ませる。
「鬼の副長が猫になっちまいやした」
割れた人垣の中で、黒い猫の耳の生えた、人間の土方が頭を抱えて座っていた。着流しの裾から尻尾の先も見えている。トシ!と呼びかけると尖った三角の耳が反応した。
「近藤さん……」
「おま……随分可愛くなっちゃって……本物?マジで?」
髪の毛の間から出ている耳を触ってみたが、作り物の感触ではない。耳を覆う黒い毛は髪の毛よりも柔らかく、温かい。案外似合っていると近藤は思ったのだが、土方のプライドの高さでは受け入れがたいことだろう。耳も尻尾も弱々しく垂れてしまっている。ついでに頭を撫でてやったら叩き落された。
「これ人間の耳もあるけど、どうなってんの?」
「さぁ、一応聞こえてるみたいだけど感度悪すぎて使い物になんねェ。つかあんた動じなすぎだろ」
「まぁこの世界ではよくある話だから」
「どの世界だよ」
「天人のいる世界だろうが」
手にした猫じゃらしを揺らしながら沖田が口をはさむ。
「そんなナリじゃ副長やれないですよね、土方さん。猫になっちまいやしたからねェ。俺が副長やるんで、土方さんは屯所のネズミでも捕まえててくだせェ」
「俺、今日非番なんで遊んであげますよ」
「実家猫飼ってるんで、任せてください」
「柱で爪研がないでくださいね」
「拾い食いしちゃダメですよ」
やいのやいの鼻先に押し付けられるカラフルな猫じゃらしに土方がブチギレた。尻尾を逆立たせて切腹切腹わめき散らす副長に、慣れたものの隊士連中は余計面白おかしく囃し立てる。
「猫だ!」
「尻尾すげぇ」
「本当に猫なんですね、副長!」
「うっせ、黙れ!腹切れ!尻尾触んな!」
「まぁまぁ。そう怒るなよ、トシ。みんな心配してんだから」
「してねぇだろ!」
髪を掻き乱そうとして猫耳に触れたのか、イライラと上げかけた手が下される。膨らんでいた尻尾も力なく萎れている。責任感の強い土方のことだから、十も二十も先のことまで考えて頭を痛めているのだろう。土方の不安が伝わって近藤の気持ちもしょんぼりと萎びてしまう。
「大丈夫だって。すぐ戻るさ。俺もゴリラになったけど、なんだかんだで元に戻れたし」
「三、四日もすりゃ戻ると思いやすよ」
気の毒になったのか、近藤に追随するように沖田もフォローに回る。
「……適当なこと言ってんなよ」
「適当もなにも、薬盛ったの俺ですし」
事の根幹を揺るがす重大事実を、沖田はしれっと言ってのけた。
「一応そこそこ発展した星製なんで戻りはすると思いやすよ。とはいえ怪しい薬には変わりねぇんで、いきなり近藤さんに飲ませるわけにはいかねぇでしょ」
「俺ならいいのかよ!」
土方の悲痛なツッコミには悪いが、近藤はそれどころではなかった。ゆくゆくは近藤に飲ませるつもりだと沖田は言う。ゴリラなおっさんに猫耳を生やして何が楽しいのだろうか。ニッチ市場すぎる。なんだか沖田のことまで心配になってきた。
気をもんだ食堂のおばちゃんの、優しさと強引さにより土方の下着と隊服に尻尾の穴がしつらえられた。それにより土方の尻尾は日の目を見、心は完全に折れた。暫時的な副長の任を原田に託すほどである。耳と尻尾が消えるまでは外に出ないと決めた土方は部屋にこもり、普段後回しにしがちな書類仕事をここぞとばかりにやり始めたようだった。
松平の元から戻った近藤は、新たな仕事を増やすのも申し訳ないが、様子見がてら土方の部屋へと足を向けた。さぞかし煙草の煙で充満していると思いきや、残り香一筋すら感じられない室内の空気は、記憶にないほど澄んでいる。ぱたんぱたんと畳を叩いていた尻尾がぴんと立ち上がり、片耳が物音を探るように後ろを向いた。気が付いたかなと思ったが土方は黙って座卓に向かったままだ。一声かけながら近づくと、長い尻尾がしなやかに動き、絡むように近藤の足を撫でて離れた。
土方に尻尾が現れてからよく見られる現象だった。癖なのか無意識なのか、すれ違う時や隣り合ったときなど距離が近づいたときに、存在を確かめるように尻尾がぺたんとくっついてくるのだ。最初は用でもあるのかと振り返っていたが、逆に何事かと返されてしまう。本人にとっては意識外のことらしい。猫の習性みたいなものかとも思っていたが、誰にでもするわけではなく、今のところは近藤にしか見られていない。