「とっつぁんから。今年の花見の警備配置」
 ファイルを差し出したところでようやく土方が顔を上げた。土方がファイルを受け取ったので、近藤も傍らに腰を落ち着かせた。
「もうそんな時期か」
「春だよなぁ。攘夷浪士らは一年中出てるけどな」
 毎年恒例、上様主催の観桜会である。惑星の垣根を越えた、そうそうたる顔ぶれが江戸に集うため、警護に駆り出される真選組にとっても大きな年中行事のひとつである。
 ファイルに視線を落とす土方の神経質にぴこぴこ動く猫耳を見ながら、近藤は口を開いた。
「どうだ、調子は。具合悪いとかないか?」
「どうもこうもあるかよ。最悪だよ。なぜか煙草も吸いたくならねぇし」
「禁煙成功はいいじゃねぇか」
「よかねぇよ。俺のアイデンティティー崩壊だ」
 深々と吐き出された溜め息に、慰めるように手を伸ばしたのにサッと避けられた。そう簡単に撫でさせるかと言わんばかりに強い視線を向けてくる。
「つれない……」
「なんか言ったか」


 近代化の進む表通りから路地を一本二本と入るにつれ、明らかに人間の質が変化していく。着古し色落ちした着物に身を包む者も、一見して高級とわかる悪趣味なスーツの者も、皆一様にどろりと淀んだ目をしている。不躾に向けられる視線の中を沖田は飄々と泳いでいた。
 木造の長屋と雨に溶けたコンクリの雑居ビルが有象無象とひしめき合い、むき出しの配管が巨大な生き物の血管のごとくゴウゴウと唸りを上げる。迷いなく進んでいた沖田はふと立ち止まり、ワイ字路の角に建つ古びたラーメン屋の暖簾をくぐった。
 カウンターしかないような狭い店だ。薄暗い店の厨房から店主が無言でよこす視線に沖田は何も返さず、そのまま最奥のカウンター席に向かう。
「昼メシかィ」
 ラーメンをすすっていた男は箸を止め、爬虫類に似た頭皮を隠すようにフードを被りつつ沖田を見上げた。髪の代わりに並ぶ背びれのようなトゲがフードの布地を持ち上げている。
「あぁ、沖田サン」
 男は青白い顔で気さくに笑って見せたが、落ち窪んだ目からは警戒の色が消えていない。沖田は無愛想な店主に「八宝菜」と告げ、椅子に腰かけた。
「隊服で来るんだモン。ビックリするなぁ」
「後ろ暗いことがなけりゃ驚きはしねェはずだがな」
「またソーユーこと言っちゃう」
 髪の切り込みのような口が笑う。目の前に八宝菜の皿が置かれた。割り箸を割り、出来立ての八宝菜を口に運ぶ。大概の品はまずい店だが、八宝菜だけはそこそこ美味いと沖田は思っている。隣からは麺をすする音が聞こえてくる。
「この前のアレ、本物だったんだな」
「当たり前ダヨね。チキュウは品質に煩いから。他は混ぜモン入れたりしてるけど、うちはソーユーとこちゃんとしてるよ。信頼していいよ」
「解毒剤みてぇのはねぇのかィ」
「解毒剤?要る?個人差あっても一週間もしたら戻るよ」
「……まぁな」
 宇宙へのターミナルが開かれてから数年、富裕層だけだった宇宙旅行が一般市民でも普通になると、入ってくるものも真っ当とは限らなくなる。不法滞在者や出稼ぎ者も増え、人身売買と呼べる行為も惑星間で起こっている。世の中が明るく綺麗になるに比例して、社会の暗部も厚くなっていく。
 それが攘夷という思想に繋がるのは些か安直ではないかと沖田は考えるが、どうだっていいのでそれ以上考えを深めたりはしない。
「沖田サン、ニャンニャンした?ネコ化の薬は人気あるよ。可愛いよね、ネコ。まぁネコじゃないんだけどね」
「うるせぇな、これからでィ。まー、面白いもん仕入れたらまた頼むわ」
 空になった皿に割り箸を置くと、細い指先が隊服の袖口をちょいと摘まんできた。
「沖田サン、最近この辺りに新しいチキュウ人が居座りだしてきてね。エラそうなのよ」
 沖田サンたちが捜してる連中じゃない?と男は密やかに続ける。
「場所は」
「こっから南の方に廃駅があるでしょ。そこネジロにしてるみたいだね」
「ふーん」
 情報料とでも言うように、広げてみせる男の手のひらを沖田は叩いた。
「てめぇも迷惑してんだろ。チャラだ」
 二人分の代金を支払い、店を出た沖田は立ち止まったまま右手方向を眺める。このまま廃駅に様子を見に行ってもいいが、下手に見つかって警戒されたら元も子もない。突撃は得意だが、まどろっこしい潜入や探査が苦手だった。後で山崎を向かわせようと結論付け、沖田は元来た道を戻り始めた。
 表通りの舗装された道を歩いていると、反対車線のコンビニ前にパトカーが止まった。助手席から降りてきた隊士がコンビニに入っていく。十番隊と見定めた沖田は道路を横断した。

「すみませーん。隊長の煙草売切れてましたー」
「マジか」
 ハンドルにもたれていた原田はギクリと身体を強張らせた。助手席に乗り込んできたのが、今しがたコンビニに行った部下ではなく沖田だったからだ。