驚くほど身体が軽い。電気信号が思考と肉体を突き刺し突き抜ける。
庭木の隙間をすり抜け、塗り塀を軽々乗り越える。両耳が絶えず情報を収集解析する。数メートル先に犯人の姿を発見した。追ってきた土方の姿に、逃げるか応戦するか、一瞬生じた躊躇が男の命取りとなった。いとも容易く男の背中を捕まえて腹に乗り上げる。抵抗する暇も与えず、ぎゅう、と右手で男の首を押さえつけた。苦しそうに顔色を変える、脂肪の浮いた男の顔を土方はじっと見据える。唾液が泡になって口の端から漏れていく。唾液と涙と鼻水でぐちゃぐちゃなところに、土がくっついて男の顔は無残なほど汚らしい。
獲物は早く仕留めないといけない。
思考の純度が上がっていくのを自覚する。圧迫する力をさらに強める。男は一際激しく暴れだした。土方はイライラしていた。黒猫の尾は面白そうに左右に揺れている。
早く仕留めて近藤に見せなければならないのに。
首を押さえていた手を緩め、動く顎を横に向け固定する。露わになる男の首筋に、土方は歯を剥いた。
投げ込まれた爆弾の威力があまり高くなかったこともあり、分厚い板の門扉に阻まれて市民へ被害が出ることはなかった。玄関口は半壊。逃げ遅れた隊士が二名、飛散した破片によってかすり傷を負った。混乱はあったが隊士たちはすでに行動しており、攘夷浪士の一人は取り押さえられている。
「車はどうした」
「車ですか?」
近藤が周囲をぐるりと見渡すと、路肩に停車されていた白のライトバンが慌てたように急発進した。
「追います」
藤堂が表に停めているパトカーに乗り込む。けたたましいサイレンと共にパトカーは走り出した。現在、市中見廻りに出ているのは原田の十一番隊だが、沖田の電話の内容が本当なら応援は難しい。もう一台車を出すよう指示をし、近藤自身は外塀に沿って屯所の裏へ回りこんだ。
屯所裏の路地は狭い。乗用車一台程度の道は近隣住民くらいしか利用せず、路面も固い土のままになっている。顔を出している爺さんに危ないから中入ってなよと声をかけ、近藤は土方の下へ急ぐ。土方がそう簡単に後れを取るとは思えない。それなのに胸が騒いで仕方がない。
土方は犯人と思しき男に馬乗りになっていた。何か様子がおかしい。不穏なものを感じ取った近藤は全力で駆けだす。
「トシ!」
土方は反応しない。組み敷かれた男の抵抗には、ただ拘束を解くためではない鬼気迫るものがあった。地面を叩く尻尾が、苛立った土方の仕草に似ている。少し上体を傾けた土方の口が開かれるのが、近藤の目にもわかった。
「トシ!ああ、くそっ、……だから爺さん、顔出すなって!」
男の首筋に噛みつく土方の動きは恐ろしく自然であった。近藤は両手を伸ばした。苦しい呼吸の合間でその名前を呼ぶ。
「トシっ」
力を込めた右腕に激痛が走る。食いちぎられないよう、噛みつかせた腕をさらに土方の口へ押し込む。土方がどれだけ本気で噛みついたのかを悟り、ぞっとした。隊服が厚手で助かった。でなければ肉がえぐられていたかもいれない。顔が歪むのは痛いからだけではなかった。
「犯人は生きて逮捕が基本だろ?本能でも目覚めちゃったか?」
噛みつきが甘くなったのを感じて、土方の顎を固定していた左手を離した。口が腕から離れたので握りしめていた拳を緩め、固めていた筋肉を弛緩させる。手の甲に血が伝い落ちてきた。攘夷浪士と思われる男は、赤黒い顔をしていたが、激しく咳き込み必死に息を整えている。どうにか無事だったと、深い安堵の息をつく。
「近藤さん」
横に座り込む近藤を、土方がおずおずと見つめてきた。
「あんたにこれを見せたかったんだが……」
これというのは土方の下でぜーぜー言っている男のことらしい。見せたかったというのは、猫がネズミだのスズメだの捕まえてくるあれだろうか。何やら落ち込んでいるらしく、
猫の方の耳が垂れている。
「いや、凄いなトシ!嬉しいよ、ありがとう」
大袈裟なジェスチャーで喜んでみせると、土方の目がパッと見開かれた。耳も尻尾もピン!ピン!と立つ。
「でも次は生きて捕まえてくれな」
左手で頭に触れると今回は嫌がりもせず、大人しく撫でられている。なんだか本物の猫のようだ。撫で続けていると、後ろから呆れ返った声が聞こえてきた。
「縄かけたいんで退いてもらえますか」
「おー、ザキ。すまんすまん」
「程々にしてくださいよ、勤務中なんですから」
土方が乗り上げたまま放置された男はぐったりしていた。周囲では真選組の隊士が道を封鎖し、市民を遠ざけている。不意に土方と目が合った。猛烈にバツの悪そうな顔を浮かべる。