蛍火

 道場の中と外で言い争う沖田と土方の姿を、近藤は少し離れた位置から微笑ましく眺めていた。二人のやり取りを見ているのは楽しい。互いに口が悪いから喧嘩しているように見えるが、土方が遠慮のない態度だからこそ、沖田も無理に大人らしく振舞ったりせずにいられるのだろう。子供は大人が思っているよりもずっと聡い。同じ年頃の子より大人びたところのある沖田が、周囲の大人たちの気配を敏感に察知していることを近藤は感じ取っていた。なにより病弱な姉の負担になることを恐れている。望むように聞き分けがよく、望むように甘えてくる。そんな沖田を自由にしてやりたいのに、上手く子供扱いしてやれてないことも自覚していた。
 酷い怪我を負った土方を連れてきてから一ヶ月が経つ。極力周囲と関わらないようにして見える土方だったが、一方的に突っかかってくる沖田を邪険にすることはなかった。笑みがこぼれることはなかったが、近藤や他の誰といるときよりも多弁になっている。この言い争いが既に見慣れた光景になりつつあるのが近藤は嬉しかった。
 師範でもある父が「いい加減あの騒がしいのをなんとかしてこい」とせっつき始めてようやく近藤が二人の元へ行くのも恒例化していた。今日もまた、父親に尻を蹴られてやっと仲裁に向かう。
「そろそろ稽古するぞー」
 ぽんと肩に手を置くと、言いかけた沖田が毒気を抜かれた顔で見上げてくる。目を合わせて笑いもう二三度肩を叩く。
「トシもやってくか?まだ万全じゃないから軽くな」
 土方は視線を合わせようともせず、笑いかける近藤に背を向けた。立ち去る土方の背中が遠くなる。後姿を見送る近藤に、沖田が息巻いた。
「あいついつまでここに置いとくつもりでィ」
「怪我人は追い出せねェよ」
「怪我なんかとっくに治ってるじゃねェか。このままじゃ居座られちまいますぜ!」
「いーじゃねェか、居座られても。総悟も一緒に稽古する仲間がいたほうが楽しいし、やる気も出るだろ?」
「…………」
 消え入りそうな声で呟く、その沖田の頭を力いっぱい撫で回した。

 鮮やかな朱色が長いこと土間を照らしていたが、それももう沈みかけている。夕暮れ時になると一日の日の長さを強く感じるようになる。徐々に傾く夕日に、近藤は家の周辺をぐるりと見回した。土方の姿が見当たらない。今朝道場から立ち去ってから一度姿を見たのだが、またいなくなっている。日中土方がふらっといなくなるのはしょっちゅうだが、それでも晩飯時には戻ってきていた。黒い影になっている山の端が風でガサガサと震える。
 小さい足音をさせながら縁側から沖田が顔を出した。
「ばあちゃんが皿運べってー」
「なぁ、トシ知らね?」
 途端に拗ねた顔つきになる。
「……しらない」
「そうかぁ。じゃあ、ちょっと捜してくるから、中々戻らなかったら先に食べててくれって、伝えといてくれよ」
 家からはいい匂いが漂ってくる。もう一度辺りを見回した。なんだか胸騒ぎがする。行こうとした近藤に沖田がしがみついた。
「総悟、足!汚れる汚れる!」
 裸足の総悟を急いで抱き上げると、近藤の首に強くしがみついてくる。
「……どうした総悟?ちょっと捜しに行くだけだって。すぐ帰るよ」
 あやすように背中を軽く叩いてやるが、沖田はさらに強く抱きついて離れようとしない。
「総悟」
「……林のほうに」
 肩に顔をうずめたまま沖田がぽつりともらした。
「なんか目つきの悪いやつらと一緒に……」
「それ本当か!」
 感情がざわめいた。どうしようもなく気が急いて、消えたという林のほうにばかり意識が向いてしまう。半ば強引に沖田を縁側に下ろすと、沖田が泣きそうな顔で見上げてくる。
「でもっ友達かも知れやせんぜ!友達が迎えにきたのかも!」
 見透かされた気分だった。近藤が今一番に案じているのは土方の安否ではなかった。土方がこのまま目の前からいなくなってしまうかもしれない。
「あいつだって、あいつの本当に帰るとこがあるんでさァ!近藤さん!」
 背中に聞こえる沖田の声は近藤を止まらせはしなかった。