「でも、先生ならやれるだろ」
 挑戦的に口角が上がる。伊東からしたら根拠のない自信だ。だが近藤の目は確信した力強さがある。これは、頷かざるを得ない。
「出来るかぎりのことはしてみるが」
「人質の解放最優先で頼むな」
「わかっている」
 さーァ、と近藤が背中を伸ばしながら大きく息を吸い込んだ。
「ちゃっちゃと終わらせようか」
「疲れているのなら屯所に戻ってくれても構わないよ。僕も、土方君もいるのだし」
「先生こそ疲れてねぇ?」
「僕は平気だ」
 歩き始めるとなぜか近藤もついて歩き出した。交渉班が拠点としてるワゴン車は松平の船近くにある。それでだろうと伊東は勝手に納得した。
「そもそもなぜ君までここにいるんだい。必ずしも局長が必要な事案でもないことはわかってただろ」
 そんなつもりもないのに言葉が刺々しく響いてしまう。何倍もの言葉が頭の中を駆け巡るが、口から出てくるのは嫌味みたいな語彙ばかりだ。
「久しぶりに先生の顔も見たかったし」
「冗談だろ」
 今のは明らかに棘を含んでいた。まずい、と取り繕うように息を吐く。
「そんなに心配しなくても土方君はちゃんと務めを果たしていたよ」
 聞き取れなかったが近藤は頷いたようだった。
「トシはさ……、強情だし言葉は足りないしで、先生からしたら無茶苦茶に見えるかもしれないけど、やる、つったことは本当にやるヤツだから。ちょっとは信用してやってくれないかな」
「……しろと言われてするものではないよ」
「そうだね」
 随分ゆっくりと近藤が歩くので伊東もそれに合わせてゆっくり歩いていた。それとも伊東自身がゆっくり歩くから、近藤が合わせているのかもしてない。各所に配置された隊士は、待機のまま先の見えない現状に疲労の色を濃くしている。脇を通り抜けながら「早くせねば」の理性と裏腹に、ワゴン車が近づくごとに伊東は名残惜しさがつのっていた。
「先生とトシが組んだら最強だと思うんだけどなぁ」
「まるでガキみたいな表現だな」
 笑おうとしたが笑えなかった。きっと本当にガキの遊びの延長なのだろう。気のおけない仲間とわいわい騒いでいるうちにここまで来ていたのだ。近藤も土方も。真選組創成期メンバーの、表現しようもない結束の固さは、まさしくそれそのものだった。そして悪意なく無自覚に他人を排除する。
「悪いが僕と土方君はつくづく馬が合わないらしい。今回、君の不在でそれがよくわかったよ」
「……そっか」
 近藤が呟いた。
「難しいな」
 静かに独りごち、それに合わせるようにゆっくり歩く。互いに何も言わず残りの短い距離を並んで歩いていく。興味本位に増える野次馬とそれを抑える制服警官が視界に入る。指示を伝える声、無線、ぼやき、靴音、様々な音が忙しなく動いていたがどれも現実味が乏しい。歩いている間、伊東の周りは妙に静かだった。
 黒いワゴン車の手前で、特別言葉を交わすでもなく二手に分かれた。近藤はやはり小型飛行船舶が停泊している方向へ行くらしい。小さくなる後ろ姿が行き交う人の中に消されていく。遠ざかっていた音がどっと押し寄せた。近藤が人と音に飲み込まれる。
「近藤さん!」
 遠い背中に呼びかける。伊東の声は周囲のざわめきにかき消される。近藤に聞こえてなくても構わなかった。伊東は声を張り上げた。
「おかえり!」
 人に隠れて近藤の後ろ姿は見えない。声が届かないことが心寂しくもあり、同時に安堵もしていた。ワゴン車のドアをノックし、ドアノブに手をかける。ずしりと重い感触が右腕に伝わる。今は立てこもり事件の最中で犯人は胡散臭い攘夷浪士、人質には佐幕派議員と一般客、自分は真選組の参謀で、だがそれで終わるつもりはなく、虎視眈々と局長の座を狙っていて、今すべきは犯人の交渉、それによる早急な事件の解決、実績の蓄積。自分のために。
 小さな人影が振り返ったことを伊東は知らない。ざわめきの中の「ただいま」も、伊東は知らない。

─終─



   あとがき

 予想外の長さになってました。鴨を書いてると土方って報われてるなぁと思います。