「とっつァん何しに来たんだよ」
「仕事に決まってんだろうが」
「えぇー」
面倒くさそうな近藤に、松平が重い沈黙を作った。察した近藤の顔つきも一変する。
「今度はちょっと厄介なことになるかもしれなくてなァ」
局長の帰りを知った数名の真選組隊士が屯所から出てきた。屯所内の慌ただしさに長谷川も気がついた。その中の一人が近藤に駆け寄り何事か耳打ちする。解った、と頷き近藤が振り返った。
「とっつァん、先入って待ってるな」
松平に簡単に告げてから長谷川を見る。
「すいません、長谷川さん。……悪いけど今日は……」
「いいよ、気にすんな」
流石に食事に行くなんて状況でないことくらいは感じている。近藤自身残念だったのか、次の約束を強調してきて、解ったから早く仕事に戻るよう長谷川は手を振った。隊服を翻し足早に屯所に入っていく背中を見送る。久々に局長らしい近藤を見た。
「まさかお前らまだ付き合いがあるとはなァ」
「そりゃあ、あんたと違ってあいつは突然いなくなったりしませんでしたから」
棘のある言い方しか出来ない長谷川に、松平は呆れたように喉で笑う。
「はァ、まだ怒ってんのか?」
「誰かを恨み続けるような疲れる生き方できませんよ。俺は松平さんが思ってるほど若くない」
「変わってねェなぁ」
松平が慣れた手つきで、取り出した煙草に火を点ける。その箱は長谷川に馴染みのないデザインをしていた。
「その様子じゃァ再就職も難しいだろ。就職先、俺が世話してやろうか」
松平こそまるで変わっていない。
「また俺に恩を売るつもりですか」
忘れきれなかった記憶が生々しく蘇ってくる。警察庁長官と入国管理局局長が己の都合のために互いを利用する、それだけの関係でしかなかった。信頼も信用もあるはずもない。だから、長谷川に切腹の命が下った瞬間に、松平がいとも簡単に長谷川を切り捨てたのは当然だった。解りきっていた。
松平が細く煙を吐いた。
「なァ、長谷川」
だが現実に、松平に切り捨てられたと知った瞬間襲われたのは虚無感だった。ただただ底のない虚無感。その意味を気付かずにいるには、長谷川が手にした時間は膨大すぎた。
「もし、本当に悪かったと思っていると、言ったらお前は信じるか?」
ぞわり、と全身が震えた。今松平がこんなことを言う意味が理解できない。日が落ちて涼しさが寒いほどになる。子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。何処かの家の夕飯は鯖の味噌煮らしい。子供の声に混じり母親の優しそうな声も聞こえてきた。SPの男たちは距離をおいた場所で四方を見据え、己の職務に終始している。汚れひとつない車体に長谷川の顔が映る。その顔は迷っているように見えた。
「今の言葉が本当なんだったら、真選組を大事にしてやってください」
「やっぱり変わったかもなァ」
松平が独り言のように呟く。煙草を咥えようとした口の端が微かに上がった。サングラス奥の目が寂しそうに見えたのは、離れていた短い月日のせいだろう。懐かしいという感情が長谷川に幻像を見させる。確かに懐かしいと感じている。気付きたくはなかった。
「……あんた、煙草替えたか?」
「うん?」
急に変わった話の方向に、松平が驚いた表情をした。
「あぁ、大分前にな」
慣れない匂いを吐き出して松平は言う。
「お前はまだ同じの吸ってんの?」
「俺今、禁煙してんですよ」
「お前もかよォ。喫煙仲間がどんどん減ってくんなー。寂しいわァ」
「てめェも止めたらどうだよ」
「もう何年吸ってきたと思ってんの」
無理だと軽く笑った後松平がちらりと腕時計に目をやった。指に挟まれた煙草は短くなっていた。話していたのは煙草一本吸い終わるまでの短い時間。それでも、随分ゆっくり吸っていたように思う。松平が車の窓をノックする。身を屈め、開いた窓にから短くなった煙草を揉み消した。
「なんだったら家まで送らせるけど」
「いや。いいよ」
「そうか、じゃあ元気でな。またな」
「また」
簡単な挨拶を交わすと、松平は待っていた隊士に連れられ屯所へと消えていった。同時に長谷川も真選組の屯所を後にした。
靴底がアスファルトのざらついた感触を伝えてくる。くぐもった音を立て、長谷川の手の中でライターの小さな明かりが灯る。立ち昇る煙を追うように長谷川は空を見上げた。くだらない嘘と、一生守られることのない約束が下の根に張り付いて、いつもの煙草が酷く苦い。腹が減ったなァと独りごち、長谷川は瞬き始めた小さな星に煙を吐き出した。
─終─