「不自然?」
「不自然だろう?」
「俺は楽しいけどなぁ」
この時間が、と近藤は言う。宝石箱の宝石ではなく、クッキーの缶に詰まったビー玉を愛しむかのように。さぞかし沢山の“宝物”を持っていることだろう。自分でも覚えきれないほど。月が陰り辺りが一段暗くなる。伊東は杯を置いた。
「そろそろお開きにしようか」
立ち上がった伊東の手を近藤は引きとめるように掴んだ。目を丸くした近藤が見上げてくるが、伊東は座らず立ったまま縁側の板目なんかを見下ろしていた。
「ちょっとちょっと、どうしたの先生、どこ行くの」
「篠原君を捜してくる」
「なんで急に」
「頃合いだろう。僕は見えない月を愛でるほど粋狂ではないし、いずれ忘れてしまう思い出作りに付き合うほど暇でもない」
「そんなんどうでもよくね?」
乱暴に近藤の手を振りほどいていた。伊東はなぜ自分がこんなに腹を立てているのか分からなかった。なぜかひどく悲しかった。
「君の言葉は軽いな」
伊東は上体を揺らし近藤に背を向けた。部屋と縁側を仕切る障子の敷居を跨ごうとして、覚束ない足元に自分が予想以上に酔っ払っていることをようやく自覚した。注がれるまま飲んでしまったことが悔しい。背後の激しい物音も慌てた声も無視して行こうとしたその時、後ろに引っ張られた感覚とともにガクッと重心が傾いた。動きを妨げられ、うまくバランスを保てない緩慢な体は滑稽なほど簡単に倒れる。まさか倒れてくるなんて思わなかった近藤は反射的に伊東の体を抱きとめた。
「だ、大丈夫?」
「……離してくれないか」
バツの悪さに伊東は顔をしかめる。近藤の腕の中など居心地が悪すぎてどうすればいいか分からない。一刻も早く離れたかったが、近藤はさらに閉じ込めるように腕を狭めてきた。
「ごめん、なんか悪いこと言った?」
「理由も分からず謝るな。失礼だ」
「拗ねないでよ」
「拗ねてない」
「ちっちゃい頃の総悟と同じ顔してる」
苦り切った伊東の顔に近藤は慌てて発言を撤回した。伊東が機嫌を損ねた理由が分からず近藤は弱っているようだった。情けない声で甘えるように顔を寄せてくる。一段と密着した身体から鼓動が伝わってきて思わず顔を背けた。こんな真似して恥ずかしくはないのか。その無神経さが耐え難い。
「なぁ、何で怒ったか言ってくれ。楽しく飲んでたのにこんな終わり方ヤダよ」
「後味悪いと感じるなら忘れてしまえばいい。なかったこととして接してあげよう」
「どうしてそう悲しい言い方するかなぁ。俺ばっかり忘れるみたいに」
「それは……君の主観だ……」
伊東の肩口に顔をうずめ、近藤は歯がゆそうに漏らした。
「なんで伝わらないんだろう」
近藤が伊東の言葉を理解できないのと同じように、伊東もまた近藤の言葉を受け取ることが出来ない。あまりに違う言語回路を辿るそれは異国の言葉にも等しかった。
嫌だな、と伊東は眉を寄せる。無神経で無遠慮で耐え難いのに、離れ難い。
「君と僕は相容れないのだよ」
「でもたった一言で分かり合えると思わん?」
そう呟く近藤の鼓動が速い。自分のも相手に気付かれてるのだろうか。近藤の腕が拘束を解いた。すっと近藤の身体が離れ、伊東は遠のいた体温に生じた名残を悟られる前に慌ててかき消した。
「月、出てきたけど飲みなおす?」
随分かさの減った残りを確認するように酒瓶を傾け誘う。縁側に置いたガラスの猪口がぼんやりと光を反射していた。確かに薄絹のような雲を透いて月が出てきたようだ。近藤の言う“たった一言”がなんなのか考えていると、近藤が悪戯っぽく笑い内緒をするみたいに耳元に口を寄せ、小さな声で囁いた。
─終─