海風

「あんたは局長らしくどっしり構えてりゃいいんだよ」
──そうだな、トシ。
「心配しなさんな。迷惑はかけませんぜィ」
──解ってるさ、総悟。

 波の音が辺り一面に満ちている。冷たい海風が潮の匂いを運んでくる。左右に広がる海に目を向けながら近藤は、自分は何故ここに来たのだろう、とぼんやり考えていた。見廻りの途中で急に嫌になり、気に向くままに進路を変えながら歩いていたらいつの間にか海に辿り着いていた。時季外れの海は閑散としていて、物寂しいくらいだった。湿り気を帯びた砂浜には夏の残骸の、花火やらペットボトルやらのゴミが未だに点々としている。
──何やってんだよ、俺は。
 仕事もサボって海に来ている現状を唐突に認識し、近藤は大きく息を吐いた。海の濃い空気が肺に入ってくる。帰ろうと、振り返ったときだった。右手五十メートルほど先に、海に張り出した岩場がある。その先端ぎりぎりに立っている人影が見えた。今にも飛び降りそうな雰囲気に、近藤は走り出していた。岩場はそう高くはないが、高さなど関係ないほど冬の海は冷たい。
「ちょっと……まっ……おいぃぃぃ!!」
 砂で足がもつれる。五十メートルの距離が一向に縮まらない。砂が粗くなり石に変わり、ごつごつとした感触に足を取られる。前のめりになりながら岩場に駆け上がった。
「そんなとこいたら危ないって!!」
 未だその場にいる人物に安堵しながら、見ず知らずの人間の腕を引いた。振り返ったのは冴えない風体をした男だった。胡散臭いサングラスのせいではっきりとは判らないが、リストラ対象となってしまいそうな年齢にも見える。ひょっとしたら、と失礼だと思いながらも色々と考えてしまう。そんな近藤と掴まれた自分の腕を何度も見比べ、男は怪訝そうに眉をひそめた。
「何!何!?」
「ほら、今は辛いかも知れないけど、そのうち良い事がありますって!早まっちゃ駄目ですよ!!」
「つぅかあんた誰!」
「変な気起こすのも、たぶん独りで考え込んじゃったせいですよ!誰かに話せばすっきりしますって!もし良かったら俺、話し相手になりますから!!」
「いや、話すもなにも……」

「──そうか、真選組の局長を。そりゃ大変だろう」
 岩場に座ったまま男は頷いた。話し相手になると申し出ていながら、いつの間にか立場が逆になっていた。軽い自己嫌悪に陥りながら近藤は口を開く。
「ええ……。でも俺は仲間を信頼していますから。大変だけど、楽しいしやりがいある。今の環境には満足してます」
 そう、満足している。近藤は自分の言葉を口の中で反芻した。では何故、ここに来たのだろう。急に何が嫌になったのだろうか。
「でもなんかあったんだろ?」
 優しく諭すように訊かれ、近藤は目を伏せた。
「俺は信頼されていないんでしょうか」
 関係ないと顔を背ける土方と、気にするなと笑う沖田の顔が脳裏に浮かぶ。
 岩場の下のほうで白い波が砕けた。足元を冷たい風がすり抜けていく。
「信頼されてたら、俺に黙って行動なんてしませんよね。黙って動くってことは俺が知ったら、止められたり咎められたりするかもしれないと思ったからですよね。じゃなかったら一言言ってくれたって……」
 消え入りそうな語尾と共に、近藤は項垂れるようにして片手で頭を支えた。冷たい風が近藤を通り抜けるたびに体温まで奪っていく。
 自分がこんなにも不安になっていたとは思わなかった。確かにわだかまりとして胸の内に引っ掛かってはいた。でもそれは慌ただしい日常の中に、無色透明な液体のようになんの濁りもなく溶けていったはずだった。無色の液体も濃度が違えば陰が出来る。日常の中に溶け込んだ不穏な感情が、些細な行き違いが生じるたびに近藤自身も気付かない意識化で怪しく揺らいでいた。その蓄積した澱んだ感情に気付いてしまった。