悪い話

 一応個室の態は成しているものの、襖を閉めてもがちゃがちゃした店内の活気は伝わってくるし、薄い壁からは隣室の話す気配も聞こえる。耳を澄ませば話している内容まで分かるだろう。落とした照明に似合う、落ち着いた色調の調度品は清潔に保たれ好感が持てたし、手捻りの器には店主のこだわりが感じられたが、それにしたって警察庁長官にはおよそ不釣合いな大衆向けの店であった。
 湯気の立つ鍋を前に、土方はよそわれたふぐちりにちびちびと箸をつけながら松平の出方を注意深く窺っていた。鍋を挟んで斜向かいに腰を下ろした松平は、土方の酌を断り自ら素焼きのビアタンブラーにビールを注いでは見事な食べっぷりで料理を平らげていく。
 この場を用意したのは松平だった。狭い個室には土方と松平の二人しかいない。松平との食事は大概ろくなことにならないが、こうして土方にだけ声をかけるときは悪い話か面倒な話を告げることが多く、さらにほとんどの場合が面倒で悪い話だった。
「伊東の評判がいいらしいじゃねェの」
「成果出してはいるからな」
 味のしない酒をちびちび舐めるように飲みながら慎重に話の方向を見定める。そんな土方の反応には頓着せず、松平はマイペースで食べ続けていた。
「近藤のよォ、惚れた女ってのとはどうなってんだ?」
「さァ。何の進展もないようだがな」
「お前結婚しねェ?つかよう見合いしねェか?」
「間に合ってるよ」
「若いモンの恋路を邪魔するヤボなマネはしたかねぇんだがなァ」
 松平が追加注文で運ばれてきた熱燗を早速傾ける。
「伊東の評判がいいらしくてな」
 話題が最初に戻っている。土方は視線だけを上げ松平を見やる。急に声を潜める、などということもなく他愛ない世間話と同じ調子で箸を動かし口を動かし、松平は続けた。
「天導衆の間で真選組の局長にする話も上がっている」
 ひっきりなしに動いていた松平の手が止まった。探るような視線がゆっくりと土方に向けられる。濃いサングラス越しの目が瞬きもせず土方を見据え、離れた。
「驚かねェのな」
「驚いてる」
 泡のへたったビールで喉を湿らせ土方は静かに言った。いつかくるだろうと常に覚悟してきたことだった。驚いているが動じはしない。
「あいつら気ィ合いそうだもんな」
 逆に自分たちが煙たがられる心当たりも大いにある。
「俺としてもお前らは好きだがよォ、お前がお前の大将を守りたいように、俺も俺の大将を守るためにいる。枷ンなるもんに情持つほどお人好かねぇからな」
「近藤は」
「戌威族んとこの情勢不安は知ってるだろう?」
「あんだけ誰彼構わずケンカ腰で突っかかってりゃな」
 戦争も起こるというものだ。そういえば軍を出せとせっついてきていることを思い出した。誰かしら送らなきゃならないなら、
「胡散臭ェけど気の合う狐は手元において、忠実だが融通の利かない犬は遠くにやるってことか」
「うまくすりゃあ勲章もんよォ」
 再び箸を取った松平が興味なさそうにふぐ刺しをつついた。
「駐留予定だがおそらく無期限になるだろうなぁ」
 カセットコンロの上で煮込まれたふぐちりがコトコトと音を立てる。鍋から立ち上がった湯気の向こうから近藤の姿が土方を見る。
──俺たち真選組じゃなくなるんだな。
(ああ)
──どうする勲章だってよトシ。頑張ろうなっ。あ、でもお妙さんと会えなくなる!どうしよう付いてきてくれるかな!
(無茶言うなよ)
 近藤は疑いもしないだろう。無頓着に何の未練もなく前だけを見て新天地に旅立てる。
(なぁ、近藤さん。俺も、あんたとここでお別れだ)
 震えるほど体温は下がっていくのに、じわりと額に汗がにじむ。
(あんたとは一緒に行けない。俺はここに残るよ)