「あの人んとこだよ」
「こんな日にですか」
「こんな日だからだろ」
 月も雲に隠れている。鯉だって眠りについているだろう。何も映らない平らな池を沖田はただ見ていた。
「どんなに昔馴染みだろうと俺たちが真選組だってのには変わりないからな。“局長”を下ろすには遠慮があるんだろ」
 近藤が“局長”を切り離せられないと感じているなら、肩書きを下ろしたいときに下ろせる相手の元へ行くのは当然だと思っていた。その分真選組であることで実際に命のやり取りが行われる場で近藤を支えることが出来る。
「俺たちは俺たちのやり方であの人を護るだけだろ」
 ぼちゃん、と音がした。落ちていた石を沖田が池に投げ入れていた。
「護ることさえ」
 沖田の歯軋りが聞こえるようだった。
「護ることさえ、あの人はさせてくれやしないじゃねェですか」
 なるほど、そういうことかと土方は昼間のことを思い出していた。

 戦場で指揮を取っている近藤が天人らに狙われるのは当然で、案の定今回も数人の天人に囲まれていた。
──しつこい。
 土方は胸の内で忌々しく舌打ちをした。近藤のサポートに回りたいのだが目の前の天人が一向に減らない。誰のものとも知れない流れた血で足元が滑る。斬っても斬っても、撃っても撃ってもキリがなかった。
 焦れる想いで近藤を見やる。近藤の後ろには沖田が回りこんでいた。近藤と沖田の近くにいる天人は五人。沖田がいれば近藤も大分楽になるだろう。一息吐いて目の前の敵に剣を構える。
 天人の一人を斬り伏せたとき、沖田が何かに気付いたように視線を走らせた。その先には建物の影から向けられた銃口。沖田が走り出していた。何か叫んでいるようにも見える。近藤を照準にされたものだと土方が気付くと同時に、沖田が近藤と狙撃用の銃との間に入っていた。銃と沖田の行動理由を知った近藤の表情が険しくなる。伸びた腕が沖田の動きを止めた。近藤に襟首を掴まれ力任せに引き寄せられる。土方は天人に行く手を阻まれ身動きが取れない。
 喧騒の中、一発の銃声が響いた。
 銃弾は、近藤のこめかみを掠め地面に穴を開ける。流れた血が近藤の片目を潰す。対峙していた天人から目を離し出来た一瞬の隙に、天人の一人が近藤の背中を斬りつけた。
「近藤さん!」
 土方の声は届かない。銃声はあんなにはっきりと聞こえたのに。膝をつく近藤の姿が見える。
「近藤さん!!」
 傍によることさえできない。

 随分と短くなった煙草を思い切り吸い込むと、庭の砂利に落とした。
 背中を斬られた近藤はそれでも最後まで指揮を取り、刀を振るい続けた。そして浅くはない背中の傷を負っているのに近藤はここにいない。
 まだ煙の立つ煙草を庭に出るための下駄で揉み消すとそのまま沖田に近付いた。部屋からの明かりに照らされ沖田の顔に影が落ちている。
「俺は近藤さんのために死ぬ覚悟もあるんですぜ?」
「だからだって気付けよ。あの人自分のために死なれるなんて望んでねェ、て」
 新しい煙草を咥えた土方を沖田が見上げてきた。その顔に自嘲気味な笑みが浮かんでいる。
「あんたはいっつもそうだァ」
 土方の火を点ける手が止まった。沖田の言葉をいぶかしむように眉をひそめる。
「我が物顔で近藤さんの気持ちを代弁して、一番の理解者面でさァ。冷静ぶってるけど本当は俺のことがムカついて仕様がねェくせに。責めればいいじゃねェですか。自分が近藤さんの近くにいれば不名誉な背中の傷なんてつけなかった、て。代わりに傷の一つでも負えば、近藤さんだって今頃外に出ずにいてくれたかもしれませんぜ?」
 口の端で笑っていた沖田が、すっと立ち上がった。向かい合う沖田の顔は半分だけ照らされ別人のようだった。
「大好きな近藤さんを独り占めできたかもしれねェ。そりゃあ、俺に腹も立ちますわな」