「いくら寂しいからって八つ当たりはやめてくれないかな」
「それはてめぇだろ」
 吐きかけた息を吸い込んでいた。笑みを作った口角が崩れる。声をなくした伊東を救ったのは携帯の着信音だった。伊東のものではない。土方の顔は何よりも雄弁に電話の相手を語る。
 救われた?伊東は自問する。土方が苛立ちのまま吐き捨てたことぐらいわかっている。それなのにこれではまるで図星を指されたみたいではないか。
 電話に出ながら障子戸を開け、ちらりと伊東を一瞥して土方は戸を閉めた。障子越しに土方の話し声が聞こえる。
「悪いが篠原君、君も出て行ってくれないかな。……ひどく疲れているんだ」
 出て行く前、篠原が何か言いたげにしていたが、伊東は見やりもしなかった。机に肘を付き、滑らすように眼鏡を額の上へ押し上げた。両手で顔を覆う。吐息が漏れる。確かに疲労を感じていた。忙しすぎるせいだ。
 ぼそぼそした声はだんだんと遠ざかる。聞こえるはずのない電話向こうの声に耳をそばだてていることを、自覚する前に意識の外へ押しやる。
 いつまで帰らないつもりだろうか。局長不在が続くせいで幹部勢の業務は多忙を極めている。目の前のものも本来は局長の仕事である。ここにいたらバカだの無能だのと、嫌みったらしく慇懃に言ってやるのに。それともこのまま真選組を乗っ取ってやろうか。
「いい加減帰ってきたまえ……」
「先生」
 見計らったかのようなタイミングに、伊東はギクリと体を強張らせた。一瞬近藤が現れたかと思ったが、そうではないとすぐに気付く。障子に映った人影が急いた声で緊急を告げた。
「攘夷浪士が人質をとって立てこもっている、と」
「そうか」
 慌ただしい足音が耳を澄まさなくても入ってくる。気乗りしなくとも行くしかあるまい。眼鏡をかけなおすと伊東は立ち上がった。机の隅の携帯電話は鳴らないままだった。

 物々しい雰囲気で店を取り囲む警官隊らの後方で土方が真選組の隊に指示を出しながら忙しなく動き回っている。さらにその最後方、全てが見渡せるその場所で伊東は事の進捗状態を眺めていた。攘夷浪士が立てこもるイタリア料理店と警官隊の間には、めくれ上がったアスファルトの破片が八方に飛び散っている。徳川の政権返上の要求に松平が「馬鹿かぁお前」と返したことで、攘夷浪士が手榴弾を投げたのだ。
 最初の要求以来音沙汰のなくなった店を伊東はイライラと睨みつけた。本当にバカじゃないだろうか。松平の対応も乱暴だったが、それ以上に立てこもった浪士たちだ。投擲された手榴弾の形態や縛後の薬品臭からも地球外で製造されたことは明白だった。攘夷を掲げながら天人から買い付けた兵器を使い、なにがしたいのだ。いい金ヅルだと気付いてないのだろうか。それとも“利用している”と思っているのか。本当バカらしい。ただ、立てこもっている攘夷浪士らが銃器類を所持していることが判明し、なおかつ使うことをためらわない人間とわかり、あたりの緊張は急速に高まっていた。
 人質の中に激しい佐幕派議員がいると、監察からの報告が入る。面倒なことになったと、伊東は舌打ちしたい気分になる。強引に突入でもなんでもしてさっさと終わらせてしまおうかとも考えていたが、これでそうもいかなくなった。見上げれば、夜空に浮かぶ撃つ気満々だった松平の戦艦も充填したエネルギー粒子を拡散させている。マスコミのヘリが変化を目ざとく察知し、戦艦にまとわりつきだした。松平のところに達しが来たのかもしれない。案の定伊東の下にすぐ、松平から人質の安全を最優先するよう無線が入る。誰からの命令だろうと、納得のいかないことには反対の姿勢を示すことの多い松平だが、今回は松平としても利害が一致したのだろう。
 松平の無線でさらに膠着状態が続くと思われた直後、突如犯人グループの一人がテラスに姿を現した。どよめきが地震波のように包囲する人々に広がっていく。
「我々は……!」
 男が声を張り上げた。ざわめきが一瞬にして止み、痛いほどの緊張感が辺りを支配する。鋭い視線に囲まれ男は物々しく両腕を掲げ広げた。
「我々は武力に立ち向かうことを恐れない。我々は武力を使うことを恐れない」
 よく通る声だった。代わり映えしない絵面から、一転したパフォーマンスに、マスコミのヘリがギリギリまで高度を落としてくる。
「全ての者に問う。この美しい国を、外から来た得体の知れない輩に蹂躙されたまま平気なのか。国の未来はこの国の民が決める。天人が定めるものではない」
 立てこもった攘夷グループの一番の目的は世論の操作か。最初の無茶な条件もこのための演出の一端だったようだ。思惑通りカメラは呼吸ひとつ見逃すまいと、食い入るように攘夷浪士を捕らえている。
 伊東は腹の底で笑った。本気でうまく行くと思っているのだろうか。攘夷に転換するには天人からもたらされた生活はあまりに甘い。一度味わった便利さを手放せるほど人は厳粛ではない。
「天人の言いなりの、腑抜けた現幕府になにができるのか。もはや徳川は指導者ではない!」
 政治家の糾弾が始まり、大仰なパフォーマンスはまだ続いている。伊東は攘夷浪士の演説を聞くうち、ある違和感が強まってきていた。なぜ人質にいる議員についてまったく触れないのだろう。佐幕で有名な議員など倒幕を演出するにはうってつけの素材ではないか。店内に議員がいたのは偶然とは思えない。ならばなぜ触れてこないのか。これから最も効果的な方法で利用するつもりなのか、あるいは……。
「裏があるな」