少し考えて、坂田は握っていた携帯を開いた。電話帳から近藤の名前を探し出す。三度目のコール音で電話は繋がった。
「……トシ?」
昼間教室での声とは違う、少し緊張気味に土方の名を呼ぶ。その微かな甘さや期待を含んだ響きは坂田の感情を逆なでした。
「ざんねーん。トシではありませーん。ここにはトシはいませーん」
息を呑む気配が電話口から伝わってくる。沈黙が訪れる。混乱する近藤がなんとか現状を理解しようとするかのように沈黙が続く。近藤の出方を待っていたが、沈黙の長さに耐えかねて坂田は口を開いた。
「あのさー俺誰だかわかる?」
「……坂田……先生」
「正解」
「いつから……」
「ずーっと。さっき出したメールも俺」
また沈黙が訪れる。今度は待つことなく言葉を次いだ。
「あのメールってさぁ、お前の弱味になる?もし土方に見られたくないんなら、今から出てきてくんない」
「どこ」
迷いなく答える近藤の声が、雑音だらけの居酒屋ではっきりと聞こえた。
さて、と坂田は近藤を待つことにする。ビールは零れてしまったので、今度はハイボールを注文し、アサリの酒蒸しも追加する。二十分もしないうちに土方の携帯が震えた。近藤からの着信だった。
「駅前まで来たんだけど、店ってどこ」
「なんでこっちにかけてくんの」
「なんでって……先生の番号知らねぇし」
そういえばそうだ。
「じゃあ今からかけなおすから」
何か言っている近藤を遮って通話を切る。自分の携帯でかけなおすと、すぐに不満げな近藤の声が出た。不満というよりは理解しがたいといった感じかもしれない。
「なんでわざわざ」
「その辺なにある?」
「えー……ローソン」
「その一本先曲がって」
電話向こうの近藤の様子は意外と普通で、本当に近藤が現れたときは不覚にも少し嬉しくなってしまった。狭い店内で坂田を見つけた近藤は俄かに表情を強張らせたが、にやにや笑う坂田の隣のカウンター席に自分から腰を下ろした。座る際テーブルの上の黒い携帯電話にちらりと視線をやる。
「なに飲む?ビールでいい?」
「教師が酒勧めるなよ」
「えーいいよ。その辺は自己責任で」
「や、風紀委員だし」
「もう一人の風紀委員は平気で俺の前でタバコ吸ってんのに」
メニューをめくっていた近藤が固まった。耳のあたりがみるみる赤くなっていく。
「さっきのは別に、そういうんじゃないから」
運ばれてきたビールジョッキを近藤の前に置く。
「ここまで来といてそれは無理だろぉ」
「先生がどう思ったか知らないけど、本当にトシは、大事な友達なんだ」
近藤が視線を合わせようとしないから、坂田はその横顔をじっと見続けた。注ぎたてだった生ビールも放置され、だんだんと泡がへたっていく。
「だから今のまま、友達のまま一番近いところにいられたらそれで……」
「でも向こうが言ってきたら“俺も”とか言っちゃうんだ」
カッと一瞬で顔が紅潮する。
「意地悪ぃ……」
「嘘ぉ。俺史上一番優しいのに、今」
「どんだけ性格悪いんだよ」