「万事屋は──」
「万事屋……万事屋ね」
 坂田も空を見上げていた。
「坂田さん、とか言ってみ?」
 心臓を握り潰された感触がした。血の巡らない脳に霧がかかり一瞬だけ視界が白んだ。
「……やだ」
 近藤の拒否に坂田が鼻で笑うように噴き出した。
「ああ、そう」
 潰された心臓がドクドクと脈打ち始める。低い轟音が聞こえ夜空が一気に明るくなった。打ち上がる花火に方々から歓声が上がる。近藤も花火に単純に見とれていたら、急に人の流れが大きく動き出した。いい場所で花火を見ようと移動し始めた人々に近藤の体が押し流されていく。反射的に振り返っていた。だが坂田はどこか別の方向に目を向け、離される近藤には気付いていない。遠ざかる坂田の姿に、記憶を取り戻してから初めて日常というものを現実のものとして自覚した。偶々出くわして少々立ち話して大した挨拶も交わさず別れる。そんなもんだろう、近藤と坂田との距離なんて。互いにやることもあるし戻る場所もある。坂田から視線を外し、近藤は人の流れに身を任せた。
 ワイシャツの襟が思いっきり引っ張られた。怒気を孕んだ声が聞こえる。
「おい!」
 焦った顔の坂田が近藤を睨んでいた。持ってたはずのフラッペのカップが消え、息が微かに上がっている。
「なに迷子になってんだよ」
 いやいやいやいや、と胸の内で激しく手を振る。いやいやいやいや、おまえこそ、何でそんなに焦ってんだよ。焼きそばとお好み焼きの袋を持つ手に汗がにじむ。導火線に火が点くみたいに近藤の顔が赤くなっていく。裸電球に照らされて顔色までは分からないことを近藤は強く願う。声が上ずりそうなのもバレないかヒヤヒヤする。
「いや……そろそろ仕事に戻ろうかと思ってな……」
 近藤の言葉で、あ、と坂田は余計なことに気付いてしまったような決まりの悪い顔で口元をさすった。
「ワリ……」
 近藤から目を逸らす坂田を反対に近藤はじっと凝視する。地面にはいろんな人に踏まれてぐちゃぐちゃになったカップが落ちていた。立ち尽くす二人を周りは大して気にしてない様子で、「おー」だの「はぁー」だの打ち上がる花火に絶えず感嘆の声を漏らしている。近藤の背後でパラパラと火花の散る音がした。
「戻りたいとか、考えたことある?」
 近藤の声はかすれていた。目を合わせた坂田がどちらともつかない笑みを浮かべゆっくりと歩き出した。拝殿のほうへと向かう。屋台の裏は薄暗く、花火が木々の陰に隠れるためか辺りに人影は少ない。
「ゴリさんじゃなくて悪いけど俺はもう一度……坂田さんに会いたい」
「悪いのは俺に坂田さんに会いたいって言うおまえだよ」
 ジャリッと音を立てて坂田が振り向いた。近藤の顔へ坂田の手が伸びる。近藤はそれを露骨に避けてしまったが、坂田は誤魔化すことなく近藤の頬に触れた。たじろいだ肩が狛犬にぶつかる。坂田の手が頬を一つはたいた。
「聞けよゴリさん?」
「俺はゴリさんじゃ……っ」
「坂田さんはゴリさんを助けたかったよ。この手で守りたかった」
 近藤の手から袋が落ちた。ひとりでは立っていられない気がして狛犬の像にそっと手を置く。石のざらざらした感触と冷たさが近藤を支える。あの時の感覚が自分のもののように蘇ってくる。短く息を吸った。
「俺としちゃあ、おまえが勲でもゴリさんでもそれ以外でも、どうだっていいんだよ。でもおまえは違うみたいだし」